ケン・フィッシャー氏が、まだ市場に織り込まれていないリスクについて語っている。
その議論の中で、本論ではないが、同氏の経済・社会に対する考え方の一端をうかがわせる一言があった。
通常、弱気相場入りすると、それは景気サイクルの後退をともなう。
景気後退の目的とは大掃除をすることであり、それが次の景気拡大や強気相場の基礎を築き、新たな高みへと続いていく。
フィッシャー氏が自社ビデオで「景気後退の目的」について語っている。
景気後退に目的などあったのか、と驚かされるが、発言の趣旨を読み取る限り、災難を嘆くのではなく前向きな展開に生かしていくべきとの思いのようにもとれる。
こういう言葉を聞くにつれ、米社会・経済のダイナミズムを思い知らされる。
米社会にとって倒産・破綻は世界の終わりではない。
それは契約・法律に基づいた1プロセスであり、「大掃除」により停滞をリセットするための手続きなのである。
フィッシャー氏は最近の例として2009年頃からの欧州債務危機を挙げ、PIIGSにおいて大規模な「大掃除」が行われたと話している。
一方、パンデミックによる景気後退は典型的なものではなく、2022年の株価下落も景気後退をともなわず、本格的な「大掃除」には至らなかったと指摘している。
日本の経済は、誰もが認める通り、世界景気への感応度の高い構造になっている。
長年とりわけ輸出産業を振興してきたから当然と言えば当然だ。
しかし、日本の実質成長率の推移を見ると、景気への感応度が高いという割には落ち着いた推移になっている。
良くも悪くも経済が風邪気味になるとすぐに財政を吹かすためだ。
財政政策で国民を救うのは政府の当然の責務だろうが、日本の場合、産業政策と社会保障政策の区別がきちんとついていない。
あたかも産業政策かのように弱い事業者を救えば、経済の潜在成長率が高まらないのも当然だ。
小泉内閣の政策を支持するわけではないが、1つ正しかったのは、本当にターンアラウンドを成し遂げたいなら《痛みをともなう改革》も必要になるということだろう。
しかし、以降の政権は多少の起伏こそあれ慈愛に満ちた政策を続けてきた。
そうした優しい姿勢は、実質成長率が改善しない中、今私たちに通貨の価値下落という形で付けの返済を迫っている。
フィッシャー氏の発言に戻ろう。
同氏は過去17年、本格的な「大掃除」が行われていないと指摘する。
「米国は、景気拡大の中で積み上がった、次の経済拡大の前に掃除・排除されるべき過剰という障害を克服するための本格的な大掃除を17年も行っていない。
すぐに来るとは予想しないが、いつかはその時が来るだろう。
そうなれば掃除されるべきだったモノの一部でサプライズやマイナスが発生するだろう。
なぜなら、それらは問題なのに問題でないとされてきたからだ。」
