ロス・ドゥザット氏は、米国が「日本型の将来を迎える可能性はあるか」と尋ねている。
レイ・ダリオ氏は、日本の政府債務のほとんどが国内で消化されている点を強調しつつ、日本で起こったことを解説した。
「こうした特定のケースでは、対処法は、中央銀行が大量の貨幣を発行して債務を買い入れることだった。
それが行われ、結果として日本円が下落した。
貨幣と債務の減価によって、富の価値の大幅な減価が起こった。」
日本では、政府債務の問題について、債務が国内消化だから大丈夫とする意見も目立つ。
しかし、国内消化だからこそ問題は深刻だ。
構造は極めて単純。
債務者たる政府の財政を持続するために貨幣・債務を減価させれば、債権者たる国民が貧しくなる。
(これは増税・歳出削減による財政再建でも同じこと。)
単純にそれだけのことだ。
そこで減税をしようが、バラマキをしようが、違いは国民一人一人の負担の濃淡でしかない。
ダリオ氏は、日本型の解決が米国で採られる可能性を否定こそしないものの、単純には行かないと示唆している。
米政府債務の1/3は外国人であり、債務交渉はより難しく、それが事後の資金調達を左右するためだろう。
どうやらドゥザット氏はこうした技術的な面を意図して質問したのでもないようだ。
同氏は、自身の意見を次のように述べている。
「日本の場合、危機や崩壊というより、持続可能な停滞であるようだ。・・・
日本社会は米社会よりも生活水準の劣化を受け入れる可能性が高いようだ。
その意味で、日本は米国のモデルとはならないのだろう。」
米国の保守派からすると、日本人は辛抱強く生活水準の劣化を受け入れていくと見えているのだろう。
いかに停滞していても持続可能な社会と見えているようだ。
