マーク・ファーバー氏は「今後が失われた10年、さらに数十年となる可能性」について尋ねられ、日本のバブル後を回想している。
その当時毎年のように訪日していた同氏からすると、そもそも「失われた10年」が何を指すのかも明確でないという。
日経平均がピークを付けた1989年以降、日本は失われた30年だったと言えるかもしれない。
株式市場が高値を更新しなかったからだ。
しかし、債券市場は上昇した。
毎年訪日したが、日本経済が悲惨な状態だと感じたことはない。
日本は清潔で、すべては時間どおり、サービス部門も製造部門も完璧に近かった。
景気後退にある国という印象を持つ人はいなかった。
それでもみんな『失われた10年』と言う。
ファーバー氏は現在居住しているタイについても同様のことを感じている。
タイについて「失敗した国家」と呼ぶ人がいるが、国はそこそこうまく機能しており、住みやすい国だと話す。
「人々の幸福とは、株式市場が新高値を付けるかどうかではない。…
株式市場が新高値を更新し続けていても、街を歩くのに、狂った男に殴られないか心配するようでは愉快ではない。」
もちろんファーバー氏は富豪であり、日本やタイの社会のすべての面を知っているわけではないだろう。
しかし、言いたい趣旨は理解できる。
「失われた10年」あるいは30年は、多くの日本人にとってとても苦痛の多い時期だった。
人によって濃淡も大きかった。
苦痛をほとんど感じないで済んだ人もいただろうし、極めて過酷な人生を強いられた人もいた。
しかし、それでも日本は総じて良い国だった。
デフレが最も悲惨な時期であっても、日本を訪れた経済人の多くがデフレや不況を感じなかったのも事実だ。
そして、これほど国民が貧乏になっても、それでも日本はまだ(相対的にも絶対的にも)相当にいい国だと思う。
マクロの数字が振るわない時も、日本人はその状況をそこそこうまくみんなで分散して負担してきたのだと思う。
日本人は酷く貧乏になったが、それでも日本は外国人が羨み、こぞって訪日したがるほど住みやすい国だ。
そう感じるにつけ、日本は今、何を望んでいるのだろうと考えさせられる。
ファーバー氏は言う。
貨幣増発が行われた時に歴史を通してすべての社会で見られてきた1つの現象は、貧困層・中間層が負け組となり、富が一握りの人たちに集中することだ。
もちろん、すでに素晴らしい日本だとしても、さらに素晴らしくしていく努力が必要なのは言うまでもない。
しかし、今の日本が進もうとしているのは、本当にそういう方向なのだろうか。
