扶養にかかわる壁はなぜできたのか。
それは、扶養する者・される者を救うために控除や税率の階段を設けたためだ。
これをなくす単純な方法は、これら救済策を撤廃することだ。
でもそれでは手取りが減ってしまうから、そういう議論にはならず、弥縫策が議論されることになる。
財源の議論なく弥縫策を講じれば、少なくとも長い目で見て、弱い者が損をすることになる危険が十二分にある。
インフレがことさらに弱い者を傷めつけるような世の中だ。
それを回避するために(ガソリン補助金のように)さらに救済策を講じれば、またインフレに火を注ぐことになる。
扶養する者・される者の手取りが増えれば、どこかにそれを相対的に多く負担する人が出てくる。
その一例が、所得を上げている単身世帯・共稼ぎ世帯など扶養のない世帯だろう。
ポピュリストは、壁を取り払えば労働が増えるという。
しかし、日本経済により多く労働力を供給している世帯が相対的に損をすることになる。
いつか新たなタイプのポピュリズム政党、昭和風に言えば日本単身DINKS党が現れ、扶養のある世帯を攻撃し出すのではないかと心配だ。
FPは以前からふるさと納税制度について厳しく批判してきた。
なぜ、こんな愚策がいつまでも生きながらえるのか。
最近、1つの仮説を支持せざるをえなくなった。
これは、声を上げない高所得者が過度な分配に対してNoを突き付けるための制度なのだ。
たった2千円のチケットを買えば、あとは追加的負担なく様々な品物がもらえる夢の制度。
高所得者が反撃するための制度であり、だからこそ稀代の愚策が廃止されないのだ。
それで困るのは税収が流出する地方自治体だ。
本来ならふるさと納税をする東京都民には公共サービスをカットすべきだろうが、もちろんそんな扱いはできない。
ただただ税収を浸食されるだけだ。
東京は初動を誤った。
もっと前から《目には目を》の反撃を食らわすべきだった。
まだ東京が金持ちなうち、規制が緩いうちに、寄付金額の倍の金券を返礼品として贈ればよかった。
そうすれば、東京に寄付が集中し、地方の自治体は破綻に追い込まれただろう。
それぐらいしなければ、この愚策を設けた政治家には、その愚かさが理解できなかったのだ。
強い者が弱い者を切り捨てる可能性を甘く見てはいけない。
かつてスコットランドやカタルーニャでも似たような思いが高まったことがあった。
東京が地方を切り捨てようとした時、おそらく多くの日本企業は東京と縁を切ることはできないだろう。
本来あるべきは「的を絞った政策」だった。
しかし、ポピュリズムの声が大きくなると、それも危うくなる。
これまで声を大きくしてこなかった強い者たちが反撃をし出すかもしれない。
それは国内の対立を煽り、なんともいやな社会を作り上げるのではないか。