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ハワード・マークス ハワード・マークスのMemoに見る過去15年での変遷

ハワード・マークス氏が金について書いたMemoから、過去15年に起こった大きな変化を読み取ろう。


「・・・危機以前、世界の金融市場参加者のほとんどは、物事がどう機能するかを理解していると感じていた。
背景にあるプロセスに加え、制度や通貨を信頼できると感じていた。・・・
そこに危機が起こり、多くのことが変化した。・・・
第2に、みんな金融の世界における予見性・理解に疑問を投げかけ、あらたなレベルの不確実性を生み出した。
第3に、新たな不確実な世界における確実で安全なものを探し始め、多くの人が金に注目した。」

マークス氏がMemoで、人々が金に群がる理由を書いている。
ただし、このMemoは2010年12月に書かれたものだ。

金が上昇している。
前回、前々回のピークを大きく超える水準で、史上最高値を試し続けている。

ドル建て金価格
ドル建て金価格

以前の大きな山を振り返ると、1970年代の放漫金融政策がもたらした上昇、リーマン危機後のQE(計3回行われた)が演出した上昇が目に付く。
冒頭に引用したMemoは、リーマン危機後のQE2開始直後に書かれたものだ。
上記部分に限らず、議論の内容が最近の金上昇を伝える記事とよく似ている。
大きな違いは2つ。
1つが政策の種類。
2010年に心配されたのは、QEとゼロ金利政策、つまり金融政策だった。
現在はどうかというと、FRBはまだ引き締め的スタンスであり、心配の中心は財政政策の方に移っている。
対象こそ違えど、人々は大いに心配し、金に集まっているのである。

2010年のMemoで、マークス氏は金への投資について多角的に論じている。
同氏のスタートラインは、金が宗教に似ているというものだった。

「誰も神の存在も・・・神が存在しないことも証明できない。・・・
とても単純なことだ: 神を信じるか否かなのだ。
全く同じことを私は金についても考えている。」

金に価値があるか否かは、それを信じるか否かによるとの主張だ。
金は(誰か他の人が買ってくれるのを除いて)キャッシュフローを生まないから、バリュー投資家が価値を分析する術はない。
(あるいは、工業用途・宝飾品用途では、現在の金価格は正当化できない。)
価格は(過去の推移などから)議論できるが、価値は分析・推計できないのだ。
マークス氏は、金にどれだけメリットがあるかを正しく測るより、他の人たちがどう値付けしているかかを見極めるべきと説いている。

似たような観点はアカデミズムの世界でもしばしば示唆されている。
ロバート・シラー教授は金について、数千年続くバブルと語ったことがあった。
アスワス・ダモダラン教授は金がコモディティ、通貨、収集品の性格を持ち、価格は議論できるが価値を議論するのが難しい(要は欲しくない)と述べている。

(次ページ: 2010年とは大きく異なるもう1つのポイント)


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