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ハワード・マークス ハワード・マークスが問う、リスクの本当の所在

オークツリー・キャピタルのハワード・マークス氏が、ある州の年金基金との面談で読み取った、運営者の考え方についてMemoで紹介している。
機関投資家の読者には原文を読まれることをお奨めしたい。
ここでは、個人投資家にとっても有用な考えるヒントをいくつか抽出してみたい。


「とても印象的だったのは、(年金幹部)メンバーが基金の目的の中で他の基金に勝ることを(優先順位の)最後に位置付けていた点だ。
彼らは、他の基金がうまくいっている時にうまくいっていれば他の基金が損している時に損をしてもよいとする考えに強く反対していた。
これを聞いた時に私がメモしたのは、投資をゴルフのように考えることには注意が必要ということだった。
ゴルフでは自分のスコアはほとんど重要ではなく、競争相手よりよいかだけが重要だ。」

今回のMemoの主たるテーマは、投資パフォーマンスをどのように評価すればよいか、だ。
確定給付年金の基金において最も重要なのは、約束した給付を実現できるかだ。
他の基金をオーバーパフォームする以前に、何としても約束した給付を実現できるようリターンを上げなければいけない。
この年金基金の優先順位も当然そこにあった。

マークス氏は、リスクにあったリターンを得ることを大原則に掲げてきた。
そこでの1つのテーマは、その議論におけるリスクをどう定義するかだ。
同氏は、投資家がシグマ・リスク、つまりボラティリティ(リターン率の標準偏差)に過度に注目しているという。

「投資家にとってリスクを限定することは間違いなく重要だが、私は、ボラティリティが投資家の最も心配すべきリスクだとは考えない。」

これはマークス氏だけでなく、ほとんどの投資家が同意するところだろう。
もちろん、日々ギリギリまでギャンブルしているトレーダーまたは投機家ならば、ボラティリティは重要だ。
ボラティリティを高めすぎれば破産しかねない。
しかし、ある程度の投資期間のある投資家(年金基金の投資期間は長い)ならば、ボラティリティは分散・時間によってかなり低減できる。
これが示すのは、リスクの取り手によって勘案するリスク指標が変化しうるということだ。
ここからマークス氏はドキリとする命題をさらりと述べている。

もしも資産のボラティリティが一部の投資家にリスクとなりえ、他の投資家にはならないのだとしたら、明らかにリスクとは投資対象ではなく投資家の環境の側に内在するものであることになる。

洗練された投資家は投資にあたって客観的なリスク指標を計算し検証しようとする。
しかし、リスクが投資対象によって定義されるのでなければ、客観的なリスク指標などそもそも存在しないことになる。
そうであれば、リスクを知ろうという投資家の行動は、共通の計算式だけで表されるようなものでなく、もっぱら主観によって判断されるべきというのだ。
やや哲学的にはなるが、これは感度の高い投資家にとって、考えさせられる重いテーマを投げかけるのではないか。

(次ページ: 投資パフォーマンスはどう評価されるべきか)


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