「バランスシート非不況」の裏番組が先進各国の財政問題である。
デフレ的とインフレ的
話をシナリオ2)と3)に戻そう。
2)はデフレ的、3)はインフレ的とイメージしたが、これには財政支出にともなう富の移転がカギとなっている。
政府部門から民間部門へ富の移転が起こったことで、政府は貧乏に、民間は裕福になった。
民間が受け取った資金は支出されるが、増税など緊縮財政にならない限りは政府に戻っていくわけではない。
お金は民間の中で所有者を変えるだけだ。
だから「バランスシート非不況」が続く。
残酷なことだが、貧富の差は開いているように思える。
つまり、貧乏な人もたくさんいるのだが、民間部門全体で見ると金満になったのだ。
ここで、あえて極論をイメージしたい。
次に危機が来る時に何が起こるのかだ。
私のイメージは次のとおり:
貧乏な政府で危機が起こるなら、通貨危機
金満な民間で危機が起こるなら、債務危機
通貨危機はインフレ的であり、債務危機はとりあえずデフレ的とイメージしている。
「通貨危機」の意味
日本にはリフレや財政出動が大好きな人がたくさんいるようだ。
そういう人たちの中にはこんな言葉を唱える人がいる:
《自国通貨建て国債はデフォルトしない》というもの。
しかし、この命題は全く本質を語っていない。
日本で見られているように、財政の健全性に疑問符が付くと日本国債や円の価値に不安が走る。
でも、国債の利回りはそれほど極端には上昇しない。
仮に急騰するようなら日銀が買い入れると思われているのが一因だ。
つまり、自国通貨を発行し日銀が国債を買い入れるから、デフォルトはしないし、金利急騰もしない。
この話自体は間違いではないが、本質をついていない。
みんなが日本国債の先行きに不安を持てば、市場原理から言ってその価値は下がるはずだ。
でも下がっていないように見える。
しかし、実際には下がっている。
価値は下がっているのだが、価格、もう少し正確に言うと名目価格がさほど下がっていないだけなのだ。
価値が下がっているのに、名目価格が下がっていないとはどういうことか。
それは、価格の物差しとなる円の価値が下がっているということだ。
価格は100円で下がっていないが、円の価値が下がったことで、100円の価値が下がったのだ。
こう考えると、昨今の円安やインフレ高止まりは当然のことと理解できる。
(もちろん、為替やインフレの要因はこれだけではない。)
価値が下がるのに国債の価格を維持しようとすれば、代わりに通貨の価値が下がるのである。
逆に、国債の価格を完全に市場に任せば(つまり日銀が保有国債を市場に放出すれば)、国債価格は暴落するだろうが、それによって利回りが急騰し投資を誘引し、円の価値はさほど下がらないかもしれない。
でも、もちろんそうはならない。
国債利回りが急騰すれば、政府予算が組めなくなり、破綻してしまう。
日本政府は敗戦直後に困窮を極めた時でもデフォルトを選択しなかった。
(預金封鎖・新円切り替えと財産税が実施された。)
この先も政府がデフォルトを選択することは考えにくい。
自国通貨建て政府債務のデメリット
《自国通貨建て国債はデフォルトしない》と誇らしげに語るポピュリストたちは本質を理解していないか、ごまかしている。
国債はデフォルトしないし、国債価格も(ある程度の急落はあっても)暴落はないだろう。
でも、価値は下がりうる。
そして、価値が下がった時、恩恵を受けるのが債務者たる政府であり、被害を受けるのが債権者たる国債保有者(あるいはその先の投資家・預金者)である。
《日本国債の9割以上は国内消化されている》というのも《デフォルトしない》こととよく一緒に語られる決まり文句だ。
つまり、国債の価値が下がる(インフレや円安になる)場合、その被害者のほとんどが日本国民なのだ。
新興国でのデフォルトのように、国債保有者が外国人の場合、被害を外国に押し付けることができる。
交渉は難しくなるが、損失は他人が持ってくれる。
(ただし、その後に通貨発行やインフレの問題が続きやすくなるなどの弊害がある。)
さらに交渉次第ではIMF等が追い銭をくれるかもしれない。
日本のように政府債務の債権者のほとんどが国内の場合、手続きは進めやすいのだろう。
しかし、その理由は、国民が負担するために他ならない。
(次ページ: 通貨危機か、債務危機か?)
