ソーキン氏はリーマン危機後の世論を回顧した。
人々は銀行、当局、法律家らを責め、不動産バブルに酔った自分たちの行いを責める者はいなかったという。
同氏は、1929年のウォール街大暴落後に痛手を被った人々の日記の記述を紹介している。
「彼らは他人を責めず、自分を責めていた。
日記に自分に宛てて書いていた:
『こんなことをしたなんて信じられない。
なんという間違いだ。・・・
家族にこんな迷惑をかけたなんて信じられない。』」
ソーキン氏は、近時と正反対に見える1929年の状況を紹介しているのである。
しかし、本当に正反対だったのか。
ソーキン氏の研究は統計的なものではないので、真実はわからない。
住宅バブルでの失敗について自責の念を抱いたアメリカ人も多くいたはずだ。
他人に怒りを向け「ウォール街を選挙せよ」デモに参加したのは、住宅バブルに参加せず、そのとばっちりだけを受けた人たちであった可能性もある。
そうならば、それには大いに理があることになる。
投資に対する自責については、深刻な問題がある。
まっとうな投資で結果的に悪い結果に終わる場合も、いかがわしい投資話で損をする場合も、自責の念に駆られる人は決して少なくない。
金融・財政政策が拡張的で強気相場が続く時ほど、人々は脇が緩くなり、様々なモノに熱狂し、ある時は騙される。
多くの場合、政策が引き締められたり、相場が反転すると、そうした損失・被害が一斉に表面化するものだ。
投資や賭けに失敗した本人が自責の念に駆られるのはある程度やむをえない。
しかし、そうした事例が出てきた時、周囲の人間や一般大衆まで、失敗した人・騙された人の側の責任を問うてしまうことがある。
ある時は辛辣になり、ある時は嘲ってしまうことがある。
もちろん、軽率ゆえに失敗して自責しない人には小言の1つも必要だろう。
しかし、もう十分に自分を責めている人をさらに周囲や他人が非難することはプラスよりマイナスの方が大きいように思われる。
相場はミズモノ、確率現象だ。
投資家はいつでも思わぬ損失を被る可能性がある。
だからと言って、投資することにリスクがあるから投資のリスクを全く取らないのは、少なくとも理論的には誤りだろう。
読者や周囲の人たちも、思わぬ損失を被らないとも限らない。
そういう時にどう振舞うか、意識しておきたい時期がゆっくりと近づいているのではないか。
1929年が注目される背景はそこにあるように感じられる。
