渡辺努教授:貨幣経済の落とし穴

東京大学の渡辺努教授が、拡大しつつある「非貨幣経済」の影響の大きさを指摘している。
これを無視して政策決定をすれば、大きな間違いを起こしかねないという。

「金融政策運営については『(機械的な)ルール vs 裁量』の議論がなされ、ずっとこの大きなフレームワークの中で振れてきている。
今まではどちらかと言うと透明性の高い『ルール』の方がいいとされ、インフレ・ターゲティングもその象徴だ。
ごく最近やや『裁量』の方に振る動きが出てきている。」


渡辺教授が19日のテレビ東京の番組で各国中央銀行で見られる変化を指摘している。
教授はこの変化の一因として統計の精度の問題を挙げる。
経済統計が経済の現実をとらえきれていないと考える人が増え、数字と政策を紐づけすることのリスクが感じられるようになっている。
この乖離を埋める役割をするのが「裁量」と言うわけだ。
渡辺教授は、今後徐々に政策に裁量的な要素が入ってくるだろうと予想する。

その「ルール」の筆頭例が物価目標であり、インフレが目標に達するまで金融緩和を続けるというスタンスだ。
日銀について言えば、近々金融緩和を止めると予想する人は皆無だろうが、正常化に舵を切ると予想する人は多い。
インフレの数字と現実の乖離があるためだ。
渡辺教授は、デフレ的な要因を肯定するかのような解説を行った。

さまざまな形での新しい技術がどんどん経済に入ってきており、供給が増えるために物価が下がっていく。

渡辺教授は、趨勢的にデジタル商品・サービスの価格が下落していると指摘する。
その典型がネット上のさまざまな無料サービスだ。

「私たちが通常生活しているのは貨幣経済で、デジタルの方は『非貨幣経済』と名付けてみた。
非貨幣経済では値段がゼロ、貨幣経済では値段がついている。
値段のついていない価格ゼロのものがどんどん拡大しており、そのこと自体が価格低下を意味している。」

消費者が利用する財・サービスのミックスに占める非貨幣経済のウェイトが高くなっている。
例えば、高価な百科事典がWikipediaに置き換わり、光学フィルムは画像系SNSに置き換わった。
しかし、価格ゼロの財・サービスの経済統計におけるウェイトは極めて低い。
つまり、多くの統計が拡大しつつある非貨幣経済の要因を見落としているのである。

「統計は物価上昇を指しているが、統計と現実には乖離がある。
生活実感としても価格が下がってきていると感じるところは多い。」

統計と現実の乖離については、早川英男氏がGDP統計と経済厚生の乖離を問題視している。

こうした統計と現実の乖離は、金融・財政政策などのマクロの政策を考える上でも重要と渡辺教授は言う。
これまでの主流派の議論では、生産性の低下こそが問題であり、それが名目の利子率を下げているというものだった。
この筆頭格は物価水準目標等を唱えるローレンス・サマーズ氏、ポール・クルーグマン教授、ベン・バーナンキ氏らだ。

「この議論の延長から出てくる立場は
『物価目標を上げるべきだ。
2%を4%あるいはもっと高くすべき。』
となる。」

生産性が低下し名目の中立金利が低下する中で、金融緩和のために名目の政策金利を引き下げた。
ところが名目の政策金利がゼロとなり、金融政策はゼロ金利制約に陥った。
そこで、名目の政策金利をゼロにとどめ、インフレ期待を上昇させることで、実質の政策金利をさらに引き下げようとしたわけだ。


一方、名目金利の低下について、イノベーションの要因を強調するならば、結論は違ってくる。

「供給サイドから来る物価下落なので
『物価目標を無理して上げる必要はない。
むしろ下げてもいいのではないか。』
という議論になる。」

渡辺教授は結論が真逆になりうる可能性を指摘しているのだ。

時代は変わった。
かつて渡辺教授は一貫して2%物価目標を擁護するスタンスを示していた。
その教授が6月Bloombergで異次元緩和の終結を提言したことは驚きを持って受け取られた。

「全然効かないことはこの5年で確認できた。
・・・どこかでやめなければならない。
・・・(超低金利政策を)続ける理由はない。」

何が渡辺教授をこの結論に導いたのかはわからない。
イノベーションが物価を下げたという事実は、程度の差こそあれ異次元緩和の前から言われていたことだ。
当時、反リフレ派は、低コスト生産を可能とするグローバル化や技術革新がデフレの主因であり、これを無理にインフレに持って行くことは得策ではないと主張していた。
この低コスト生産が行き着いたのが非貨幣経済だろうが、これだけで方向転換するものなのか。

あるいは単純にこの5年で、異次元緩和が「効かない」ことを確認したことで方向転換したものなのか。
異次元緩和にはいくつも成果はあったが、決して成功とは言い難い。
それは、3つの重要なロジックが崩れたからだ。

  • 量的緩和等でインフレを高めることが可能。
  • インフレを高めれば経済は成長する。
  • インフレが国民を幸福にする。

とりあえず、1つ目は否定された。
2つ目はインフレ上昇前に達成されてしまい、リフレが唯一の手段でないことが明らかになった。
3つ目は、消費増税の右往左往から見られるように、大きな疑問符がついている。

渡辺教授はファクトを重んじ、スクエアにモノを考える学者であるようだ。
異次元緩和が始まると「東大物価指数」の公表を始め、現実を指し示す統計とファクト・ベースの議論を追い求めた跡が見える。
日本の物価が上昇せず、クリストファー・シムズ教授がヘリコプター・マネー的な財政政策を勧めた時も、ほとんどの人がまともに取り合わなかった中で、渡辺教授は利点もあることを認めている。
ヘリコプター・マネーが、頓挫したサプライ・サイドの論理(トリクルダウン)ではなく、トリクルアップであるという点だ。
現実をよくすることを重視する姿勢を表すエピソードだ。

その渡辺教授が進化した結果が非貨幣経済の重視とその金融政策への含意なのだろう。

もしもそう(原因がイノベーション)ならマクロの政策は要らないし、貨幣経済にしばられてマクロの政策を打ってしまうと間違ったことをやってしまう可能性もある。
非貨幣経済を無視した政策運営は危険であることを示唆している。


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