輸出の為替感応度低下の読み方

「日本の製造業が為替への耐久力を強めている」と日経電子版が報じている。
事実関係はともかく、その伝え方がとても前向きなのがほほえましい。


輸出の為替感応度が低下していること自体は4月の日銀「展望レポート」で指摘されていたとおりだ。
日銀は

こうした変化の背景には、わが国企業の輸出がより付加価値の高い財にシフトし、シェア獲得のための価格競争に巻き込まれにくくなっていることなどがあると考えられる。

と要因を分析している。
日経もこの分析を踏襲し、さらにドラマティックに語っている。

もうう為替は怖くない――。
・・・後押しするのは輸出財の高付加価値化。
つまり、価格によらず売れ続ける製品へのシフトだ。

日銀の分析は正しい。
ただ、やや不明確な部分を含んでいる。
そして、日経の書き方はおそらくミスリーディングというべきものだ。
日経ともあろうものがそれに気づいていないはずはない。
想像するに、景気のよい話題にしつつ、力との衝突を避けたのだろう。

では、為替感応度低下のニュースの本当の意味、そのインプリケーションとは何だったろう。
まず、ファクトを抑えておくと、為替感応度の低下はリーマン危機以降に急激に進んでいる。
したがって、これはアベノミクスとは全く関係のない現象だ。

このファクトの実相はこうだ。
リーマン危機後進んだ円高と世界経済の後退により、日本の輸出企業は選択を迫られた。
低付加価値製品について廃業するか、海外中心の生産とするか。
もはや国内生産はほとんどの低付加価値製品で選択肢ではなくなったのだ。
結果、国内には高付加価値製品のみの生産が残った。
この現象を日銀は「シフト」と呼んでいる。
いわば、ウェイトのシフト、あるいは低付加価値品撤退による結果的シフトなのだ。
しかし、日経はこれを「輸出財の高付加価値化」と表現した。
こう書くと、輸出用にとりたてて高付加価値化を進めたような印象を受けるが、実はそうではない。
輸出産業は常に製品の高付加価値化に努めているのだが、それは輸出財に限ったことではない。
ただただ生き残りのため生き残れるところに付加価値をつけ、生き残れないところを海外に譲っただけなのだ。


日経記事はこの後、潜在的な日米貿易摩擦の話へと展開する。
一難(為替)去って、また一難というわけだ。
しかし、ここで議論すべきは別のところだったのではないか。
それは、円安誘導の社会的意味だ。

もしも、円安が輸出に対し中立的なところまで感応度を低下させているのだとしたら、日銀が本音の部分で円安を望んでいると噂されることをどう解釈すればいいのか。
もちろん、円安になっても輸出産業が(外貨建てで見て)売価を下げないなら、輸出産業の利益は改善する。
しかし、その裏には輸入産業や家計の犠牲が存在する。
円安で輸出が増えて設備投資等が増えるのでなければ、円安誘導とは純粋に輸出産業から輸入産業への所得移転にすぎなくなる。

そうした所得移転に日銀が加担する意味はどこにあるのか。
また、「展望レポート」でわざわざそれを語ったことに意味はあるのか。

ドル円(青)と円の実質実効為替レート(赤)
ドル円(青)と円の実質実効為替レート(赤)

円は実質実効為替レートで見て到底割高とはいいがたい。
多くの市場関係者もこの観点からは円を割安を考えている。
それでも人々が日銀の円安誘導につながる金融政策を支持してきたのは、それが輸出を増やし、いつかトリクルダウンが働くと信じてきたからだろう。

そろそろ市場もサンスポット均衡から離脱した方がいいかもしれない。
円安が株高、円高が株安との連想は(リスク・オン/オフの議論を除けば)成り立ちにくくなっている。
もちろん輸出の為替感応度がゼロでも、円安になれば輸出産業の利益が改善する傾向は続くだろう。
しかし、その裏では輸入産業での利益低下や家計の消費低迷があるかもしれない。

いずれにしても、そろそろ日本でも《強い通貨は国益だ》と主張する土壌ができはじめているのかもしれないのだ。


 - 国内経済 ,