ピーター・シフ

 

ピーター・シフ:経済学者なんて要らない

Euro Pacific CapitalのPeter Schiff氏が、ゲイリー・コーン米国家経済会議議長の辞任騒ぎに冷笑を浴びせている。
シフ氏からすれば、そもそも国家が経済学者に頼ること自体が百害あって一利なしということらしい。

「なんで経済学者なんて必要なんだ?
何が目的なんだ?
米国は計画経済国家じゃない、ソビエト連邦じゃないんだ。
米国は自由経済だ。」


シフ氏がPodcastで独特の社会観を披露している。
同氏はリバタリアン的な考えで知られ、政府の役割は最小限にとどめるべきとの立場だ。
こうした考えはシフ家の伝統でもある。
政府は求められないことまでやるべきでなく、税金も最小限にとどめるべきとの主張だ。

シフ氏は国家経済会議が創設されたのが戦後の1946年になってからである点を指摘する。
当時米国は豊かであり、戦勝国として戦時賠償金を受け取る側でもあった。

「たくさんの経済学者に大盤振る舞いしようとしたのだろうが、私からすれば完全な浪費だ。」

と強烈な皮肉を浴びせている。
シフ氏に言わせれば、経済アドバイザーなしの時代の方が米経済ははるかに良好だったということになる。

「産業革命を経験し、世界中から何千万人もの移民を吸収した。
米経済は急速に拡大した。
米国は経済顧問などいなくても農耕社会から工業化経済に転換した。
大統領は経済学者などと話さなかった。
連邦職員に経済学者などいなかった。」

戦後、政府が経済学者の意見を聞くようになって米政府・経済は劣化したと、シフ氏は独自の解釈を与えている。
何ごとも行き過ぎはよくないが、経済学者の意見を聞くべきでないとの言い切りは多くの人にとって理解しがたいものだろう。
小さな政府を求めることも、民間主導の経済が重要なことも、ありうる議論として理解できる。
しかし、だからと言って、経済学の知見に耳を貸すべきでないというのは別の話だ。
それは、政府が自然科学の知見に耳を貸さないのと同じように奇妙に響く。


特に、トランプ政権になってからは大統領が優れた経済学者の意見を聞くよう願う人が激増したはずだ。
だからこそ金融界出身でバランス感覚に定評のあるコーン氏への評価が高かった。
ブードゥー経済学ではなく、きちんとした経済学と実業の間でバランスをとってくれるものと期待されてきた。
しかし、シフ氏は経済学者に露ほどの期待も寄せていない。

確かに市場経済には《神の見えざる手》がいくらか存在し、ある程度の最適化メカニズムを発揮しうるのだろう。
しかし、市場はいつでも失敗しうる。
米国の共和党ティー・パーティやリバタリアンの意見は、一定の理解ができるとしても、とても賛成できない。
自分が成熟した先進国社会の一員でよかったと感じる瞬間だ。

しかし、シフ氏の話が進むにつれ、シフ氏がそう考える背景が明らかになっていく。
そうなると、成熟した先進国の一員として、頭から無視すべき意見でもないことがわかってくる。
経済学者に頼らなかった時代、米国は世界一の債権国になったのに、経済学者の関与とともに逆転し始めたとシフ氏は言う。

「彼ら経済学者の誰も米経済の体たらくを指摘しない。
どれほど大きく米経済が内爆したか。
私たちは最大の債権国から最大の債務国になってしまった。」

経済学の有力な流れであるニューケインジアンが、多くの先進諸国を赤字まみれにしてきたと言いたいのだろう。
経済を成長させるために政府の負担としてでも需要を拡大させるべきとの考えには、確かにそうした一面がある。
苦しい時に政府が出費し、楽な時に政府が借金を返すというなら問題はない。
しかし、多くの国が圧倒的に出費ばかりに積極的で、借金を増やし、需要を先食いすることに明け暮れている。

経済学に問題があるのか、それとも、すべてはそれを利用する政治の問題なのか。
政治の責任は逃れえないだろう。
しかし、経済学に責任がないとも言うべきではあるまい。
社会に適用して害をなす学問では、公害を必ずともなう科学技術と同程度の評価しかできまい。


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