1930年代に恐れられたもの:ロバート・シラー

資産価格の実証的研究で2013年ノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー教授が、受賞後の歩みについて語った。
過去の経済学の不備を指摘し、ナラティブの重要さを説いている。


「ノーベル賞を受賞してまもなく、私は経済学者の専門家組織である米経済学会の会長になった。
そして、改革を決心したんだ。
会長就任講演で、私はいくつか改革のアイデアを話し、それがこのナラティブ経済学というテーマにつながった。」

シラー教授がCourseraに語った。
教授は2016年、経済学会会長を務めた。
前年の会長はリチャード・セイラー、2017年のノーベル経済学賞受賞者だ。
行動経済学が経済学の世界を席巻している。

シラー教授は来年の発刊に向けて『ナラティブ経済学』の著書を執筆しているという。
そこには、過去の経済学の前提に対する大きなアンチテーゼが込められている。

経済学者は理論を発展させてきたが、彼らの理論は通常、合理的な人間が変化する環境に反応することを前提としている。
私の考えは、通常そうではないということだ。
通常、人間が変化しており、それを私はナラティブ経済学と呼んでいる。

過去の経済学は、ほとんど実在しない人間のモデルを用いて現実を説明しようとしていた。
架空の人間モデルの集合体である経済モデルは、果たして現実の経済をシミュレートできるのか。
シラー教授はそこに疑問を呈し、経済学に変化を求めている。

「経済学者は人々の声をもっと聴かなければいけない。
経済学者はそれを厭い、抽象的な言葉を語りたがる。
しかし今や新聞・雑誌・書籍・日誌・講話などのオンライン・データが存在する。
こうした人々の間のコミュニケーションがデジタル化されている。
経済学者は研究のあり方を変え、もっと人々の考え、その変化の理由に注目すべきだと思う。」


ここだけを聞くと、世間ですっかりインフレの進んだ《ビッグ・データ》を用いた経済分析のように聞こえるかもしれない。
しかし、シラー教授の着目点はナラティブ(物語)だ。
それをデータの集合にとどめず、人間が理解するストーリーにまで解釈することに努めている。
予定している著書から大恐慌前後の人々のナラティブを紹介している。

「あなたが信じるかどうかわからないが、当時の人々は極度にロボットを恐れていた。
彼らは自動化という言葉を使わず《技術による失業》という言葉を好んで用いた。
機械が雇用を奪ってしまう。
彼らは、それこそ高い失業率の原因であり、大恐慌とは機械が雇用を奪った結果であると考えた。」

大恐慌のことは誰もが知っている。
多くの経済学者がその現象について説明を与え、私たちはそれを理解したつもりでいる。
しかし、その時の人々のナラティブがどこにあったかが注目されることはほとんどなかった。
あっても、株式市場の大暴落前後だけの話だった。
しかし、もう少し広角にナラティブを調べると、なんと現在に酷似した共通観念が存在したのだ。

1930年代の人たちが、ロボットや自動化を恐れる必要はあったのだろうか。
大恐慌を抜け出した後の経済発展を見る限り、それを恐れる必要は(少なくとも長期的には)なかったはずだ。
むしろ、ロボットや自動化はその後の米社会を豊かにしてきた。
仮に当時の恐怖が過剰だったとしたら、それは大恐慌の原因・結果に影響したのだろうか。
経済や市場がオーバーシュート/アンダーシュートを繰り返してきたことを考えれば、関係がなかったと考えるのには無理がある。
シラー教授は、こうした点を勘案することの重要さを主張している。

さかのぼって調べれば、それがすべてではないものの重要な一部であることがわかるはずだ。
それは、大恐慌がなぜ歴史上最悪の経済的破綻となったか説明する助けになるし、将来のそうした破綻のリスクが何かを理解する助けになろう。


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