隅田川はどちらに流れているのか

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4月18日の日本経済新聞のコラム「大機小機」が面白かった。
ペンネーム「隅田川」氏による「平成経済の反省」というコラムだ。(浜町SCI)


筆者が特に反省すべきだと思うのは、平成時代には、経済学の論理、経済学者の意見が経済政策に十分反映されてこなかったことだ。

日経新聞の読者に実務家が多いとすれば、なんと違和感の大きな一文であろうか。
実務家が感じてきたのは、隅田川氏と真逆のことだ。
政府の諮問機関や審議会などに名を連ねた経済学者は、いったい何をやっていたのか。
彼らこそが日本経済を沈没させた主犯の一角ではないか。
こう考えている人は少なくないはずだ。
そして、こうした思いは世界的な広がりさえ見せている。

実は筆者は、政策に対する考えでは隅田川氏の文章に賛同する部分が多い。
それでも、この方の社会・組織を見る見方には違和感を感じることがある。
客観視できていない、あるいは、唯我独尊とでも言おうか。
要は、自分の立場をさておいて上から目線なのだ。
ただし、それがあまりにも徹底しているので憎むには至らない。

隅田川氏が誰なのかはわからないが、今回のコラムを読む限り学者なのかもしれない。
学者の中には、こんな感じに空気が読めないが憎めない人も多い。
こうした自家中毒については日々既視感を感じることがある。


さて、実務家の一員として口汚く話すことをしばし許してもらおう。
実務家からすれば、政治家・官僚・経済学者は同じ穴のムジナであり、悪のサークルだ。
(本当はそんなはずはなく、もちろん人による。)
経済学者は諮問会議や審議会などに名を連ね、政治家が望み官僚がレールを敷いた予定調和の役者を務めている。
実務家からすれば、その御用学者は悪の枢軸の一角なのだ。

それがタカ派であれハト派であれ、ニューケインジアンであれ新古典派であれ、信じるところがあればそれを貫くべきだ。
御用学者がもしも信念を貫いてきたと言うなら、現在の結果を見る限り、その人たちに能力はない。
潔く経済学者を廃業すべきだ。
(厳しい話だが、それが実務家の世界の掟だ。)
政権が経済政策で間違いを犯していると思えば、経済学者がこぞって政権と刺し違えるつもりで公職を辞し抗議し批判をしないのはなぜだろう。

悪のサークルの外にいる人間たちはそう考えている。
それなのに、隅田川氏の意見はこうだ。

令和の時代にあっては、政策決定にもっと経済学者が参画し、経済の論理が生かされるような仕組みを工夫する必要がある。

なんという世間知らずであろうか。
本当に解決したいなら、まず経済学者が責任あるギルドを作るべきだ。
そのギルドの承認がなければ公職には就けないように定め、政治家・官僚の忖度に勤しむ御用学者を生まないようにすべきなのだ。
(学問の自由は保証されるべきだが、それと公職に就くのとは話が異なる。)
つまり、一義的な責任の所在は経済学者の側にある。
解決策を誰か他の人たちが与えてくれるようなものでは決してない。


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