アスワス・ダモダラン ニューヨーク大学教授が、株式市場について誤った構図で報道を続けるメディアに誤りの本質をレクチャーしている。
これは破壊のしかたにおいてとても特殊な危機だ。
危機では通常、市場がまずパニックし、経済が徐々にストップする。
今回の危機では、市場がとても良い時に経済がストップした。
ダモダラン教授がCNBCで、コロナ・ショックの特殊性を解説した。
なぜ、市場がパニックしていなかったことが重要なのか。
それは、危機に突入した時点で「公的か民間かを問わずリスク資本がなくならな」かったためだ。
危機でいったん株価は急落したが、リスク資本はまだ存在していた。
だから、グロースを中心に買い戻され、市場も足早に回復したという。
キャスターは、まだ危機の中で株価が高値圏まで戻した理由を2つ提示し、ダモダラン教授に見解を求めている。
・将来の企業収益への期待
・低金利環境
教授は、リーマン危機後の金利低下時に資本が株式に向かわず現金で持たれた事実を挙げ、後者の議論は成り立たないと棄却している。
「株式に戻ったという事実は・・・市場のかなりの部分が経済回復のみならず、危機前より危機後により恩恵を受ける企業の存在を信じていることを意味している。」
キャスターの質問はいくつかの点で良いものとはいえなかった。
選択肢は2つだけではなかったはずだ。
3つ目の選択肢として、FRBの資産買入れによる流動性供給を挙げるべきだった。
そうすれば、先のリスク資本の議論と絡め、金融政策の要因の話が聞けたかもしれない。
現在、日米のメディアではバブルのようなものが発生したとするナラティブが流行している。
バブルという言葉は定義が明確でないから、正確に言うなら《株高は間違っている》ナラティブである。
《株価は高いが、これは間違っている》というと賢く聞こえるのだろう。
いたるところで識者と呼ばれる人たちやキャスターがこうしたフレーズを軽々しく使っている。
(こうした人たちにはこれまで予想を外してきた人が多いのはいうまでもない。)
CNBCのキャスターもそう主張したかったようだ。
今回の株高、とりわけグリース主導の株高が新参の小口投資家によるものではないかと尋ねている。
しかし、ダモダラン教授はいつも冷静かつ冷徹だ。
「それは大きく過大な表現になっている。
小口投資家の投資金を集めても、市場を動かすことはできない。」
ダモダラン教授は、そうした決めつけを「いわゆるプロ」が使う言い訳に過ぎないと斬って捨てる。
教授が「いわゆるプロ」というのは、プロを名乗る人たちの「投資へのアプローチがプロフェッショナルでない」ためだ。
彼らは軽々しく言い訳をする。
『私たちは正しく、彼らが間違っている。』
驚かされるのは、プロが賭けて儲かるとスキルといわれ、小口投資家が賭けて儲かると投機といわれる。
投資のプロに対して常に厳しく接するダモダラン教授らしい一言だ。
また、投資・投機について価値観を交えず扱おうという姿勢も見える。
(これは以前、教授が作った投資家診断にも表れていた。)
あらためて株式市場と経済の間の分断について尋ねられると、ダモダラン教授はファクトで説明した。
過去50年のデータでみても、四半期ごとの市場と経済の間に相関はほぼ存在しなかったという。
投資家ならば、冷静に考えれば、市場と経済が同期するなどと考えないだろう。
株価とは将来キャッシュフローを反映したものだ。
現在の株価は将来キャッシュフローと対応する。
将来キャッシュフローはそこそこ将来の経済と連動するかもしれない。
比較すべきは、現在の株価と将来の企業収益・経済なのだ。
ところが、識者やキャスターは、現在の株価と現在の企業収益・経済を比較して大騒ぎを続けている。
本当に議論すべきこと、健全な議論とは、経済が今から1年後にどうなっているかだ。
市場の改善は、経済の力強い回復を予想していることを意味する。・・・
今の失業保険申請を議論するのではなく、1年後にどうなっているかを議論すべきだ。
それこそ市場が予想していることなんだ。