貨幣愛がTVCを打ち破る
小林教授も、TVCが常に成立しているとの考えには懐疑的だ。
「長期のデフレ均衡という現象を理解するためには、『人間の選好は不変』としてきた通常の経済学のモデルではなく、『人間の選好は可変的』という考え方に立つことが必要なのではないか。
なんらかの環境変化で人間の効用関数が変わるなら、人間が過剰な『貨幣愛』を持つようになる可能性がある。」
ある時、人間の選好が変化し、不合理なほど「貨幣や国債など金融資産」を選好するようになるのではないか。
つまり、合理的に必要な範囲を超えて金融資産を貯めこもうとするのではないか。
ここで読者が注意すべきは、この話は中間層以下をイメージしてはいけないということ。
中間層に合理的な範囲を超えて金融資産を貯めこむ余力はほとんどないだろう。
イメージすべきは、自分の死後に過剰に財産を残せるぐらいの富裕層の話だ。
本来こういう人たちが過剰分を消費してくれれば経済は潤うのだが、残念ながらこうした人たちの消費性向は高くない。
小林教授は「貨幣愛」が発生しうる要因を2つ例示している:
- 「資産保有が社会的なステータスを表現するシグナルとなっている」
- 「自分の子孫が貨幣愛を持つ」と思い込む
貨幣愛が発生すると、人々は消費するために財産を持つのではなく、保有するために保有するようになる。
(ニュー・ケインジアンが見落としがちで、行動経済学が得意としそうな議論になってきた。)
その結果、インフレにならない。
デフレ均衡
小林教授は「TVCが破れたまま成り立つデフレ均衡」にはまっている可能性を指摘する。
そこでは実質金利が市場の力によってプラスの値に落ち着くので、名目金利をゼロにするゼロ金利政策を続けると、インフレ率+実質金利=名目金利というフィッシャー方程式により、インフレ率がマイナスになってしまう。
金利がゼロなら預金者は金利収入がなくなるのでお金を消費に使おうとしなくなり、物価が下がる、というメカニズムである。
こうして政策当局者の意図に反して、長期的デフレが生み出される。
ここまでをおさらいすると、人間の社会では
- 時として過剰な貨幣愛が発生する。
- TVCが破れ、金融緩和のリフレ効果が失われる。
- デフレかつ超低金利で消費が減って、さらにデフレになる。
この構図は永遠に続くのか。
貨幣愛の消滅
そうはならない可能性の1つが貨幣愛の消滅だろう。
長期デフレの後で急に貨幣愛のバブルが崩壊し、予測不能な高インフレが起きてもおかしくはない。
さらに言えば、世代間の期待が効用にバブルを生むメカニズムは、人が抱く信条や道徳的な価値の形成にも関わっているかもしれない。
人がなにかの理念に価値があると信じるとき、将来世代も同じ価値を認めるはずだという期待が、信念の支えとなっている。
この部分について小林教授は具体例を示してくれていない。
確かに少々イメージしにくいシナリオだ。
そこをあえてイメージしてみよう。
旧来の共産主義や原理主義的なキリスト教が台頭し、金持ちが豚と呼ばれ、貧民こそ清いものとされる時代がきたらどうか。
金持ちの多くは命の心配や道義心から財産のほとんどを手放すかもしれない。
金持ちの子孫は、財産を引き継ぐことを拒むかもしれない。
あるいは戦争と軍国主義の台頭もこうした効果を及ぼすかもしれない。
そうなれば、貨幣愛は一気に冷め、TVCが復活するだろう。
こういう変化は、格差が問題視される現代、とてもいいことのように思える。
しかし、ここで学んだロジックからすれば、それがインフレの昂進を招くことになる。