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ロバート・スキデルスキー 金融政策の不都合な真実:ロバート・スキデルスキー
2021年5月20日

ケインズ研究で有名な、経済学者で英上院議員のRobert Skidelsky氏が、金融政策にまつわる建前がなくならない理由を皮肉たっぷりに解説している。


BOEは、金融・財政政策の間には関係はなく、資産買入れは単に2%物価目標を達成することを狙って行ったものだと主張する。
2020年3月以降のBOEの資産買入れ額が同期間の財政赤字に偶然にも一致した事実は、偶然以外の何物でもない。・・・
さらに、BOEの擁護者たちは、単に量的緩和の規模がBOEの物価目標達成のために必要なものとは異なると示唆することでさえ、BOEの対インフレの信認を損なうと言う。

スキデルスキー教授がProject Syndicateで痛烈な皮肉を重ねている。
かつてインフレに苦しんだ英国の識者がどう金融政策を見てきたかが伺われる文章だ。

スキデルスキー教授の解説がすべて正しいのかは議論があろうが、とても面白く勉強になる内容なので、読者自ら読まれることをお勧めしたい。
ここでは、面白い部分を表面的に紹介する。
教授は、この半世紀あまりの中央銀行の歴史を綴っている。

「各国の中央銀行は(事実上)政府によって所有され、最近まで国庫の実働機関と見なされてきた。
1980年代に、過剰な政府債務が主たるインフレの原因だとする新たな通説が起こった。
1990年代には、政府が歳出削減で財政を均衡させなければいけない一方で、各国中央銀行は物価目標を定め、その達成のために金利を制御するようになった。」

ケインジアンの時代にインフレが起こった。
そのインフレが財政健全化をコンセンサスにした。
それ以上の財政拡大が許されないとの考え方の中で、使える即効薬が金融政策しかなかったわけだ。
この体制はしばらく成功したかに見えていた。

「2008-09年のクラッシュまで多くの人が、以前のケインジアンの時代のインフレ的過剰と比較して、この体制についてインフレを安定かつ低位に保ったと称賛した。
しかし、この分析は、中国の低コストな製造業との競争激化など、物価を低下させる、他のはるかに重要な要因を見落としていた。」

金融政策依存(+緊縮財政)の体制だけが物価を安定させていたわけではなかった。
グローバル化や技術革新が大きく効いていたはずだ。
しかし、何事もないうちは、金融政策依存の体制がうまくいっているように見えた。

そこにリーマン危機が襲う。
多くの人が金融政策依存の体制がうまくいっていたと考えていたから、世界金融危機でも財政政策より金融政策に依存する体制が続いた。
スキデルスキー教授は、このことが危機後の経済回復を弱いものにしたと考えている。

ところが、パンデミックが契機となって、ようやく世界中で財政・金融政策の両方を拡張的にする体制が実現した。
しかし、各国の建前論は続いている。

財務省の政策が金融政策を動かしているとの事実が認められることはない。
それは単に、中央銀行の独立性の概念を侵すからだけではない。
より本質的に、金融政策だけで経済を安定化させることはできないと認めることは、現在のマクロ経済政策の理論を支える知的基盤を破壊するからである。

事実上のMMTが行われているのに、それが認められていない。
(奇しくも日本は《協調的財政・金融政策》と謳っているいるから、少し本音が語られているともいえる。
それでも日銀はマネタイゼーションを否定しているから、建前は健在だ。)
面白いのは、それが「マクロ経済政策の理論を支える知的基盤を破壊する」ものと考えられているところだ。
こんな大そうな話なのだろうか。

スキデルスキー教授の解説はここからミルトン・フリードマンの貨幣数量説の説明となり、ケインジアンの常として、それをディスっている。
フリードマンが「投機的貨幣需要」を見逃しているという指摘である。
貨幣を増やしても、それが実体経済に回るとは限らないという論点であり、私たちが近年見てきたとおりの現象だ。
教授はこのインプリケーションを説明する。

これが意味するのは、経済状態が貨幣の流通量を決めるのであって、その逆ではないということだ。
将来のインフレの不確実性は、企業の意思決定に影響する多くの要因のうちの1つにすぎない。・・・
中央銀行が純粋に金融操作を通して物価水準や経済活動の水準を制御する能力は極めて限られている。

スキデルスキー教授は、金融政策だけで物価や経済を制御する能力は小さいと言い切っている。
お金を増やしても、投機的貨幣需要がある以上、民間部門がそれを流通させるとは限らないからだ。
教授は、このロジックが示す、現在の中央銀行にとって不都合な事実を指摘する。

「結局のところ、貨幣が経済に予見可能な形で影響を及ぼすには、予見可能な形で支出されなければならない。
それが起こりうるのは、支出するのが政府の場合だけだ。
したがって、金融政策の効果は、中央銀行が財務省の実働組織であるかによる。
でも、誰もこれを認めることはできない。」

中央銀行がお金を刷って民間部門に渡しても、民間部門はお金を抱え込んで使わないかもしれない。
一方、政府の使うお金を中央銀行が刷って渡すなら、政府+中央銀行は思い通りの使い方をすることができる。
金融政策の有効性を主張したいなら、財政・金融政策を一体として行う必要があると言いたいのだ。
しかし、そう語ることは禁句だという。
(もちろん、民間は以前から真実を知っている。)
なぜ禁句なのかが面白い。

なぜなら、財務省は邪悪であり、中央銀行は高潔だからだ。
だから、マクロ経済政策の公式な言い方は金融政策のままでないといけない。
もちろん財政政策とのいかなる連関も偶然なのだ。

どこまで本音で、どこまで皮肉なのかはわからない。
日本の場合、財務省というより政治家と言った方が入りやすいかもしれない。
ここでの「財務省」とは、お金を使いたがる権力という意味だろう。

スキデルスキー教授は決してMMTやマネタリー・ファイナンスを奨めているのではない。
昨年も、適切な財政出動を促す一方で、財政赤字一辺倒の政策にならないよう警告していた。


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