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社会厚生を最大化するインフレ率:日銀
2019年6月30日

日本銀行企画局の嶺山友秀氏・平田渉氏・西崎健司氏が、社会厚生を最大化する定常状態インフレ率についてモデル計算を行い、結果を発表している。
同インフレ率を日米ともに2%としたものの、論文の端々に興味深い配慮が見て取れる。


日米ともに、社会厚生を最大化する定常状態インフレ率について、2%近傍という結果が得られた。
同時に、定常状態インフレ率が2%近傍から上下1%ポイント程度乖離しても、社会厚生が低下する程度は限定的なものにとどまるとの結果も確認された。
金融政策の時間軸効果(フォワード・ガイダンス)を勘案すると、社会厚生上許容されうる定常状態インフレ率の下限が切り下がることも分かった。

同論文がこう結論付けている。
日米ともに2%となったのは少々出来すぎの感もあるが、日銀とは基本的に清廉な組織だから信じることにしよう。
2%物価目標については、異なる経済に一律の《グローバル・スタンダード》を適用することに批判もあったから、この結果はその批判を退ける1つの根拠となるのかもしれない。
(もっとも、後述のとおり、日米では要因が異なることにも十分注意が要る。)

定常状態インフレ率が1%上下しても社会厚生は大して低下しないというのには2つの意味があるのだろう。

  • オーバーシュート型コミットメントの安全性。
  • 物価目標の引き下げに含みを持たせる。

フォワード・ガイダンスが定常状態インフレ率の下限を切り下げうるともされているから、物価目標引き下げの可能性を残したという意味合いの方が大きいのかもしれない。
ただし、結果の数値を厳密に扱うことには注意喚起されている。

「ゼロ金利制約に関連するパラメータの不確実性などを踏まえると、計測された定常状態インフレ率に関する結果は相応に幅をもってみる必要がある。」

要は、この結果をもってあまりにも先鋭な議論をしないでほしいということだろう。
もっとも、この論文が企画局の諸氏から出されたのを見ると、外野に勘ぐるなというのも酷な話だ。

この論文はとてもよく書けている。
どこかの異星人が書いたのではと思うようなおぞましい記号・用語の羅列ではなく、人間が理解できるように書いてある。
この論文は、インフレのコスト・ベネフィットに影響を及ぼす4つの代表的要因を勘案し、社会厚生を計算したものだ。
その4つの要因とは (1)価格の硬直性、(2)貨幣保有の機会費用、(3)名目賃金の下方硬直性、(4)ゼロ金利制約 である。
これらについて、どう社会厚生に関係するのか。

(1)価格の硬直性
価格の硬直性が資源の最適配分を阻害し、社会厚生を低下させる。
「ゼロインフレが社会厚生を最大化することが示唆される。」
(2)貨幣保有の機会費用
リターンを生まない貨幣を保有することで機会費用が発生する。
「Friedman (1969)は・・・インフレ率はマイナスであるべきだと論じた。」
(3)名目賃金の下方硬直性
名目賃金を下げにくいため、資源の最適配分が阻害されることがある。
インフレがあれば実質賃金を下げることができるため、問題を緩和できる。
(4)ゼロ金利制約
名目政策金利は基本的には0%までしか下げられない。
インフレがあれば実質金利は0%未満まで下げることができ、金融政策の余地が広がる。

論文では先行研究の傾向を説明している。

「これまでの研究では、社会厚生を最大化するインフレ率として、ゼロ%近傍ないしはゼロ%以下とするものが多くみられている。
これは、価格の硬直性、貨幣保有の機会費用のみを組み込んだ研究が多いためと考えられる。」

つまり、先行研究では(1)、(2)に注目をしたものが多かった。
(1)はゼロ、(2)はマイナスを支持する要因だから、先行研究ではゼロかそれ以下という結果になったのは当然だ。
一方、この論文では、インフレを支持する要因である(3)と(4)を加えている。
だからプラスの答が出た。
定性的にはある意味当然の結果なのだ。
何か新たにインパクトの大きな要因を見出し勘案すれば、結果は変わるものと考えるべきだろう。

個人の立場に立つと、(3)は会社の都合、(4)は中央銀行の都合のように見える。
労働者の立場で言えば(3)はマイナスだし、(4)も場合によりけりだ。
それでも経済全体で言えば、回り回っていいこともあるということなのだろう。

一方、日米について2%という同じ数字の答が出たことは早合点すべきではない。

「もっとも、プラスのインフレ率が必要となる主因は、日本ではゼロ金利制約、米国では名目賃金の下方硬直性と、両国において異なる。」

《グローバル・スタンダード》という話だけでは説得力がないということではないか。
しかも、日本についてはインフレを要する主因がゼロ金利制約とされている。
上記の但し書きを再掲すると

「ゼロ金利制約に関連するパラメータの不確実性などを踏まえると、計測された定常状態インフレ率に関する結果は相応に幅をもってみる必要がある。」

「ゼロ金利制約に関連するパラメータの不確実性」とは何かと言うと「自然利子率の水準やゼロ金利ショックの定式化」とされている。
そもそも重要なパラメータ自体が推計であるため、そこからさらに推計を行えば、当然幅が出てくるわけだ。
それぞれの要因による幅は次のとおりとされている:

社会厚生を最大化する定常状態インフレ率の幅
不確実性 日本 米国
自然利子率 1.0-2.6% 1.4-2.2%
ゼロ金利ショックの定式化 1.1-1.9% 1.3-1.9%

さらに最適値から少々上下しても社会厚生の低下は限定的なのだから、かなり幅は広くなる。

「プラスのインフレ率が必要となる主因は、日本ではゼロ金利制約」とは何とも皮肉ではないか。
ゼロ金利制約が効いている原因は日本の自然利子率が低いから、つまり潜在成長率が低いからだろう。
一方で、日本の成長率を下げている一因は金融政策との意見もある。
極端な金融緩和がゾンビ企業を温存し、それが成長率を押し下げているというシナリオだ。
定性的・ミクロには説得力のあるシナリオだが、それがマクロの成長率を押し下げているのかどうかはわからない。
ニュー・ケインジアンのモデルもこうしたミクロな現象まで取り込めるわけではなかろう。
(取り込むとしたら「(5)低金利・過剰流動性が資源の最適配分を阻害する」要因となろうか。)
もしもそうした指摘が本当なら、金融緩和とはいったい何なのだろう。
金融緩和によって自然利子率を押し下げ、必要なインフレ率を押し上げ、金融緩和の罠から抜け出せなくなってしまうのではないか。


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