オークツリー・キャピタルのハワード・マークス氏が、他社の教育目的で行われた昨年3月の対談で興味深い昔話を披露している。
ニフティ・フィフティとは米国において最良で最も速く成長していた50社のことだ。
とても素晴らしいとされ、問題が起こるとは考えられていなかった。
さらに、価格が高くなりすぎるとも思われていなかった。
マークス氏が対談で、1960年代から70年代初めの米市場でもてはやされた「Nifty Fifty」について言及した。
メインストリームの投資銀行・証券会社がこぞって優良グロース銘柄としてバイ&ホールドを推奨した。
高成長の実績が投資家を油断させた。
価格が少し高めになっても、数年後には利益が価格に追いついてきたからだ。
マークス氏によれば、中にはPERが80-90倍に達する銘柄もあるほどの人気ぶりだったという。
ところが、もちろん強気相場は永遠に続くわけではない。
弱気相場になると、深刻なリターン低迷に陥った。
50年前には米国で最も優良と考えられ、盤石と思われた企業も、その後さまざまな運命をたどった。
マークス氏がいくつか紹介している。
「ゼロックスやIBMは危うく倒れかけたし、コダックやポラロイドはその事業が消滅した。
AIGは倒産した。」
マークス氏は当時の投資家の失敗の要因を2つ挙げている。
- 将来を見ていなかった。
- 価値や評価を重視していなかった。
現在の市場環境を1998-2000年と似ているという人は少なくない。
しかし、もう1つ注意すべきなのは、このニフティ・フィフティなのではないか。
現在のFANGの勢いはドットコム・バブルというほど薄っぺらくない。
むしろ、ニフティ・フィフティの優良銘柄の方がイメージがだぶる。
さらに、1970年代は米国が深刻なインフレを迎える時代でもあった。
ニフティ・フィフティでの失敗の代償は大きかったらしい。
マークス氏は、1968年シティバンクの株式部門に配属されていた。
その時の状況に即して、傷の大きさを表現している。
「1968年の夏にシティバンクに入社し、勤勉に5年間これら株式を保有したら、あなたは米国で最良の会社に投資したほぼすべてのお金を失った。
90%を失うのもざらだった。」
こんな時代だったから、みんな損をしていたのだろう。
マークス氏は「運よく」債券部門に転属となる。
そして、ジャンク債の帝王マイケル・ミルケン氏と接点を持ち、1978年の終わりからハイイールド債のポートフォリオを始めたのだという。
「今や私は、米国で最低の公開企業に投資しているんだ。
私は安全に堅実にお金を稼いでいる。」
最高のものを買って損し、最低のものを買って得をする。
ここから、マークス氏の有名な教訓が導きだされた。
1つ目は、良い投資とは良いものを買うことではない。
うまく買うことだ。・・・
2つ目は、成功の可否のほとんどは支払った価格で決まる。
まず価格が本当におかしくないか調べるまでは、アイデアが良いか悪いかはわからない。