海外経済

ジム・オニール 政策の常識はコロコロ変わる:ジム・オニール
2020年8月8日

元Goldman Sachs Asset Management会長ジム・オニール氏が、中央銀行の目標について歴史を語っており考えさせられる。


つらい結末をともなう1970年代のインフレ時代に各国中央銀行を引き戻すようなマクロ経済政策の処方箋を提案するつもりはない。
・・・今日のほとんどの国の政府、それらの顧問の多くは、インフレの脅威を勘案しなかったのだろう。
彼らは世代が違ったのだ。

オニール氏がThe Articleへの寄稿で、インフレ昂進のリスクを無視するかのような政策立案の危うさを指摘している。
2015-16年に英財務次官を務めた同氏は1957年生まれの63歳。
高インフレが世界を苦しめた時期にオニール氏は大学を卒業したというが、同氏にしてもインフレを完全には理解できていないと認めている。

1970年代にインフレが発生したとするなら(石油ショックなど特異で分かりやすいものを除き)その原因の多くは1960年代、50年代にあったのだろう。
その時期の記憶があり、かつ経済史におけるその意味まで理解できている人はもはや皆無だろう。
つまり、世界の政治家・中央銀行家・官僚のほとんどがインフレを知らず、軽視しがちなのではないか。

オニール氏は、現在多くの中央銀行が採用している物価目標の生い立ちを語る。

「直接のインフレ・ターゲットが設けられた主たる理由の1つは、単純な貨幣理論の度重なる失敗にある。・・・
実際、報告されるマネー増加の測定値の不正確さ、いわゆる『流通速度』の不安定さの両方により、各国政府、そして各国中央銀行は1980年代に行っていたマネー・サプライ目標から距離をおくこととなった。
代わりに今ではインフレの直接の指標が目標の基礎として採用されている。」

フィッシャーの交換方程式でいえば
 M・V = P・Q
のうち、M(貨幣量)とV(流通速度)がいい加減で使えない、という話だ。
以前はMをコントロールすることでP(物価)をコントロールしようという思想だったが、この関係式が機能しないためにPを直接監視するスタイルになったのだ。
ところが、量的緩和政策では再びこの交換方程式が日の目を見ることとなった。
ミルトン・フリードマンの「インフレとは常に貨幣現象である」という言葉の下、リフレ政策が採られたことは記憶に新しい。
過去を振り返るなら、物価目標に関する限り、結果は見えていた面もあるのだろう。

(それにしてもオニール氏が物価を「インフレの直接の指標」と呼んでいるのが少し奇妙だ。
物価はインフレ(膨張)しない。
膨張するのは貨幣量なのに。)

オニール氏は、中央銀行が物価目標を主たる目標とすることを疑問視している。
言うまでもなく、金融緩和にはプラスもあればマイナスもある。
インフレになりにくい経済環境の中で金融緩和のブレーキポイントの目安を物価に求めれば、ブレーキを踏むのが遅れてしまいかねない。

中央銀行の独立性が広まった1990年代には、インフレを目標にすることが大きな政策目標だったのだろう。
しかし、2007-08年以降、あるいはその前から、金融政策の主たる目的としてCPIを目標に用いることは、量的緩和の欠点のいくつかに一部、おそらく大きく、ほぼ間違いなく寄与してきた。
量的緩和の恩恵は金融市場に向かい、実体経済には向かわなかった。

オニール氏は、中央銀行が物価のかわりに例えば名目GDPを目標とすれば良いという。
名目GDPならば物価上昇をペナルティとして扱わないし、物価より現実世界をより良く反映していると思われるからだ。
(日本政府は名目GDP目標を掲げているが、ほとんど誰も話題にしないのが皮肉だ。)
かつてはGDP推計にタイム・ラグがあるため拒絶されたアイデアだと認めた上で、今では予測ノウハウが向上しており採用可能だと主張する。
オニール氏は、経済政策の目標について進化を求めている。

マクロ経済政策に関して、2008年の危機は無駄になってしまった。
今回も繰り返すべきでない。


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