個々人の経験が期待を形成する:渡辺努教授

東京大学の渡辺努教授が、インフレ期待の形成に個々人の経験が大きくかかわっていると主張している。
最近、IMFや日銀からの注目を引いた研究結果なのだという。


期待がどうやって決まるかはよくわからないところがある。
中でも有力になりつつある仮説が、個人の経験に左右されるというものだ。
物価に限らずいろいろなもので、個人の経験が行動や期待を支配していることがわかりつつある。

渡辺教授がテレビ東京の番組で期待の形成について語っている。
「どちらかというと異端だった」考えが認知されつつあるとの指摘だが、行動経済学について言及したものだろうか。

渡辺教授は、黒田総裁の下での日銀がインフレ期待に対して2つの仮説を設け、そのいずれもが不調に終わっている点を指摘する。

  • 異次元緩和初期: 日銀がインフレ期待をアンカーできると考えられた。
    「日銀が宣言すれば世の中の人がみんな見方を変えるだろう、物価が上がると言えば消費者も物価が上がるのを容認するし企業もそう動くだろう、というように言葉が大事だと考えられていた。」
  • 見方の修正後: インフレ期待は想定以上にバックワード・ルッキングだった。
    「次に日銀が言い出したのは、言葉ではなく実績・事実なんだと。
    物価が上がってくるという事実があれば、人々は物価に対する見方・期待を変えていくんだ。」

結果を出せたとは言い難いこうした仮説に対し、渡辺教授は異なる見方を呈示している。
それが、個人の経験というものだ。

「50-60歳代になると1970年代のオイル・ショック時の激しいインフレを知っている。
もっと上の世代なら、戦後まもなくの激しいインフレを知っている。」

渡辺教授の調査によれば、こうしたインフレの経験を持つ世代では、日銀の政策変更に対応してインフレ期待も上昇したのだという。

「(20歳代では)デフレの時期に生まれ育っており、デフレしか知らない。
インフレが起こると言われてもなかなかピンと来ない。
だからインフレ期待がなかなか上がらない。」

調査によれば、世代が若くなるにしたがってインフレ期待は上がりにくいのだという。

こうした個人の経験の要因とは金融の実務においてしばしば見られる現象だ。
バブルを知らない若い世代はバブル発生の可能性を想定しないシナリオを立てやすい。
それは金利上昇・インフレ昂進にも言えるものだ。
だから、渡辺教授の主張は正しい。


一方、1つ難癖をつけるとすれば、世代間の相違点は経験だけでないことだ。
世代間での相違点には例えば消費行動の違いもあろう。
若い世代は、ネット通販やスーパーで割安の買物をするかもしれない。
年寄は、価格コムを見ることもなく、行きつけの店の正札ばかりを見ているかもしれない。
そもそも本当のCPIは世代別に異なるのではないか。

さて、渡辺教授は、経験に裏打ちされた考え方は変化しにくいという。
このため、世代交代がさらに状況を悪化させると心配する。
デフレ期待を持った若い世代がどんどん社会の中核になっていくためだ。

「(物価は)健全なものに戻らなければいけないので、何らかの方法を考えなければいけない。
日銀がそれを放置してきたのが原因なので、是正も日銀が責任をもってやるべきだ。」

日銀出身で物価のスペシャリストである渡辺教授は厳しい。
あくまで現状の物価水準は低すぎると考えているようだ。
とはいえ、デフレ・ディスインフレは日銀だけの責任ではあるまい。
《デフレは貨幣現象》と信じるなら別だが、他の当事者にもむしろ大きな責任があるはずだ。
それは、直後の奇妙な話の展開でも明らかになる。

「1つの可能性は日本人の若年層でなく他国の若年層の考え方を積極的に取り入れていくことだ。」

渡辺教授は、日銀責任論の直後に移民政策を持ってきたのだ。
筆者が知る限り、移民政策は日銀の責任分野ではなく、何ら権能さえ持たないはずだ。
渡辺教授はなぜこうした話の展開を選択したのか。
金融政策の腹案があったが、それを口にするのを忌避したのか。
あるいは、日銀の責任とは金融緩和を継続するという月並みな話にすぎなかったのか。
はたまた、日銀にやれることは少ないということなのか。
1つ目でないなら、やはりこの問題はAll Japanで臨むべきものなのだろう。

ただし、インフレ期待を高めるために移民政策を変えていくという可能性はゼロだろう。
(移民政策を緩和する段に少々のコンフォートになる程度だろう。)
日本の右派はそれほど柔軟ではなく、本末転倒と切り捨てるだけだ。
つまり、答はここにはない。
むしろ、毎年消費税を1%ずつ増税し、増税分を財政再建にあてず、財政支出増にする方が説得力・可能性が高いように思われる。
若年層に持続的なインフレを「経験」させ「実績・事実」を見せつけるのである。


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