フリーランチと経済学者の責務:ローレンス・サマーズ

新興国だけではない

サマーズ氏は、こうした点が理屈の話ではなく、現実に起こってきたことであると指摘する。
しかも、それは新興国だけの話ではないとし、先進国での例を挙げた:


  • 1981年フランスのミッテラン政権
  • 1998年ドイツのシュレーダー政権
  • 1970年代半ばのイギリスとイタリア

MMTとサマーズ氏の違い

サマーズ氏はサプライ・サイド経済学やMMTを誤った考えだと斬って捨てる。
その一方で、同氏は積極財政や金融緩和を唱えてもいる。
外形的には、あるいはやりたい実際の行動については、サマーズ氏のミックスとMMTとはとても似ている。
中央銀行の助けで安い金利でお金を借りて、たくさん使いましょうと言っているのだ。
では、サマーズ氏はMMT批判を通していったい何を言いたいのか。

保守にとってもリベラルにとっても、そんなフリー・ランチは存在しない。
どちらの党を支持しようが、この点を明確にすることは真剣な経済学者の責務だ。


サマーズ氏のこの主張はまったく正論だ。
しかし、ここで疑問が湧く。
ランチがタダかどうかをどう考えようと、同じことを行うならば、結果は同じなのではないか。
MMTだろうが、サマーズ氏だろうが、金融緩和・歳出拡大のミックスを行うなら(程度の差はあろうが)同じような将来が待っているのではないか。

日本の物語

これは日本の物語でもある。
日本でリフレ政策について大きな議論になった時、リフレ派には2種類がいた。
黒田日銀総裁のように、理論と枠組みを正しく理解している人。
きちんと本音と建前を使い分け、少なくとも初期には財政再建の重要さを強調していた。
一方、リフレを支持するフリンジ経済学者の中には、まさにMMTと同じロジックを擁してリフレ政策のリスクが小さいと主張する者が散見された。

日本のように公的債務が大きく、その多くを中央銀行が買い入れている国では、MMTとは(仮に意図していなかったとしても)すでに現在進行形なのだろう。
不思議なのは、米国の経済学者らの多くが自国でのMMTには大反対するのに、日本での事実上のMMTには何も言わないこと。
それどころか、日本に対しては財政拡大や金融緩和の継続をアドバイスする人も少なくない。
しょせん経済学者のモラルの範囲などその程度なのだろうか。


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