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ジョセフ・スティグリッツ インフレを心配する段階ではない:ジョセフ・スティグリッツ

ジョセフ・スティグリッツ教授は、インフレ懸念を時期尚早でありバイデン政権の妨げになるだけと、暗にローレンス・サマーズ氏を指して批判している。


直面する大きな不確実性考えると、こうした(インフレ昂進への)懸念は時期尚早だ。・・・
バイデン政権は、やり足りないリスクがやる過ぎるリスクよりはるかに大きいことを正しく見極めてきたと考えている。

スティグリッツ教授がProject Syndicateで、インフレ懸念を煽り財政支出にブレーキをかけるべきでないと主張している。
財政政策が大好きな教授が、足元の異例の大規模財政政策を擁護したものだ。

スティグリッツ教授は足元のインフレについて、停止していた経済が再開する上で不可避と述べ、労働市場の逼迫は格差に苦しんできた労働者にとって良い面もあると書いている。
むしろ心配すべきは、今後財政政策が漸減していく中で総需要が低下していくことだという。
消費性向の高い低所得者層、貧困層が困窮し支出を減らす一方、消費性向の低い富裕層の支出は増えず、総需要不足が再燃する可能性があるという。

スティグリッツ教授は、仮にインフレが昂進すれば、金融引き締めや増税で対応できると言い切っている。

過去10年あまりのゼロ近傍の金利政策は経済的には健全なものではなかった。
資本の希少価値がゼロ。
低金利は、過度に小さなリスク・プレミアムにつながる利回り追求の引き金を引き、資本市場を歪めている。
より正常な金利への回帰はよいことだ(もっとも、超低金利時代の主たる受益者たる金持ちは同意しないだろう)。

つまり、今はやり過ぎるぐらいがいい。
やり過ぎたら、金融・財政を緊縮的にすればよい、というもの。
多くのハト派論客が用いるロジックであり、理屈は通っている。
特に、金融政策は概して格差拡大を助長するが、うまく設計された財政政策は逆に縮小しうる。
また、先進主要国一小さな政府である米国の場合、政府をより大きくすべき理由もあるのだろう。

ただし、現実がそううまくいくなら、そこそこ力のある国家でインフレなど起こってこなかったはずだ。
1970年の米国、大昔のドイツ・日本を引くまでもなく、インフレ昂進が起こる過程では、ブレーキを踏むべき時にブレーキが踏めない理由があったのだ。
その理由がすばらしいものかどうかは別として、とにかくブレーキが踏めなかった。
スティグリッツ教授は「証拠が出てくれば、FRBは方針を変えると信じている」と書いているが、説得力のある根拠は述べられていない。

この論文が楽しいところは、ハト派内でのスティグリッツ教授のいわば内ゲバがまだ続いているのが確認できるところだ。

「(現在は)通常のプロセスが阻害され、中断され、次々と価格上昇が波及するだろう。
しかし、特に世界中で過剰供給力が存在する中、こうした変化がインフレ期待を押し上げ、インフレ的なモメンタムを生み出すと信じる理由はない。
超過需要によるインフレを警戒している人間が(ゼロ金利においてでさえ)総需要不足による『趨勢的停滞』を論じてきたことを思い出すべきだ。」

あてこすられたのはローレンス・サマーズ氏。
同氏は、インフレ昂進の可能性があると論じ、その理由の1つに前例のない政策ミックスがインフレ期待をシフトさせる可能性をあげている。
スティグリッツ教授は「信じる理由はない」と書いているが、信じない理由を書いているわけでもない。
(実際、ブレークイーブン・インフレ率は最近まで上昇を続けてきたし、Bloombergによる6月の調査では、エコノミストのインフレ期待が上昇している結果となっている。)

さらに、もう1か所サマーズ氏をあてこすったようなところがある。

私たちは現在の『インフレ議論』の目的を認識しないといけない:
米国の最も基本的問題に対処するためのバイデン政権の努力を妨げようとする人たちによる陽動作戦だ。
(政権の努力の)成功にはさらに多くの公的支出が必要だ。
米国は幸運にも、脅威を煽り思い通りにさせようとするのに屈しない経済的指導力を得た。

実は、スティグリッツ教授がサマーズ氏に内ゲバを仕掛けるのは2度目。
1回目は、2018年、趨勢的停滞論を厳しく批判したのだ。
リーマン危機後、教授は財政出動を主張したが、当時の政治情勢の中で取り上げられることはなかった。
(債務上限を巡る紛糾は記憶に新しい。)
当時の米国の選択は、財政政策をあきらめ金融政策で対応しようというものであり、それが結果的に金融政策への過度な依存をもたらした。
(皮肉にも、スティグリッツ教授の主張の正当性を証明したのは、はるかに遠く最悪な敵であった前大統領であった。)
サマーズ氏の趨勢的停滞論がオバマ政権の消極的対処の言い訳として使われたとして、オバマ政権とサマーズ氏を批判したのである。
この時は、これまたハト派のポール・クルーグマン教授が、両方をとりなすようなコラムを書いている。

さらに面白いのは、足元ではクルーグマン教授とサマーズ氏の間にも内ゲバ的な論争があること。
クルーグマン教授がサマーズ氏を軽くディスると、サマーズ氏は「がっかり」と返している。

スティグリッツ教授は、すべて思い通りでないと許せない潔癖タイプ。
正義と良心に基づき行動するが、実社会ではコミュニティを分断に陥れかねないタイプだ。
サマーズ氏は、バランスと対話を重視するタイプ。
一方で、要領よく立ち回る姿が目立ち、腹の中が疑われてしまうタイプだ。

右寄りの人たちの魂を失ったかのような団結、左寄りの人たちの協調性のなさは、どうやら太平洋の向こう側でも同じらしい。
一見理屈っぽいが、実は意外とドロドロしていそうな確執は、まだまだ続きそうだ。


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