日本銀行
 

【書評】日銀はいつからスーパーマンになったのか

執筆:

北野一氏が2014年2月に上梓した経済政策や企業統治について著した本。
同氏がJP Morgan時代からレポートや著書を好んで読んでいるが、同氏の著述のすばらしいところは、経済・市場にかかわる文章であると同時に、同氏の思想がはっきりと反映されているところだ。(浜町SCI)
(この書評記事は当初2014年に浜町SCIコラムに掲載されたものです。未掲載の書評のうち現在でも有用と思われるものを厳選し再掲しました。)


(amazon)

実は、北野氏の思想は筆者のそれとは全く相容れない。
筆者は投資家の立場に身をおいていること、事業会社で経営に参画した期間が長いこともあり、米国流とは言わないもののコテコテの株主資本主義者である。
一方、北野氏は、古き良き日本がそうであった(?)、ステークホルダー間のバランスのとれた企業統治の復活を唱えている。

本書の特徴は、以前の著書と比較しても、圧倒的に文字が多いこと。
この本は経済書というよりは思想の本である。
以下、興味を持ったところを紹介しよう。

北野氏は、いいことがあると「アベノミクスのおかげ」と枕詞をつける風潮を批判している。
一昨年からの市場回復はアベノミクスのおかげではなく、ただただそういうタイミングだっただけとする。

アベノミクス相場の寿命は4か月であった。2013年1月から5月までだ。
もう、すでに終わったと私は考えている。

これは、HSCIが2月に「日本株の魅力(2)リターンは米国株と同程度にすぎない」で検証した数字と一致する。
「期待」に働きかけた異次元緩和の効果は、実行に移されたあたりで終わっているように思える。
世の中では、3本の矢のうち異次元緩和が最も効果的と評価されていると思う。
北野氏はその異次元緩和についても否定的だ。
ナチス・ドイツの宣伝相ゲッペルスの

小麦の価格を上げつつ、パンの価格を下げる

という言葉を引いて、

「インフレ期待を上げつつ、長期金利を下げる」という量的・質的金融緩和は、この小麦とパンの話に少し似ている。
しかも、それが民意であるから、逆らえないという意味においてもだ。

ナチス流のポピュリズムになぞらえるところ、相当に辛らつな批判である。

本書のタイトルに戻ろう。
白川日銀総裁の時代、日本経済が奮わないとそれが日銀のせいにされた。
白川総裁時代に、すでに日銀は数々の非伝統的な策を講じたのに、である。
それが、異次元緩和となって、あたかも日銀がなんでもできるかのように見られている。
異次元緩和がスーパーマンのように問題を解決してくれ、これからも解決してくれると思われている。
本書はその浅薄な風潮に釘を刺すものだ。

高すぎる資本コスト

北野氏が一貫して主張するのは、グローバル化で日本の資本コストが不必要に高くなってしまったということだ。
同氏は、株主資本コストが高すぎるようになって

 従業員ほかのステークホルダーへの分配が不当に抑え込まれる
 投資が行われなくなる

と主張してきた。
資本コストが「デフレの真犯人」というわけだ。
今回の著書では、それに対する解決策が提起されている。

政府が強権的に市場に関与したいのなら、一つ提案がある。
「株主資本コスト決定委員会」を作ったらどうか。

負債資本のコストは主に日銀が決める。
同じように株主資本コストについても公的機関に決定させろという「下策」が皮肉交じりに提案される。
これに限らず、本書にはステークホルダー間の分配が焦点として繰り返される。

エネルギー価格の上昇による交易条件の悪化については、

輸入物価の上昇をコスト削減で相殺し、輸出物価を抑えようとしているのは、日本独特の対応である。

つまり、売価を上げて、仕入先や従業員への分配を守れという主張だ。
それをしないから、結果的にステークホルダーが疲弊し、景気が悪くなると主張する。
確かに、安易に価格競争に持ち込んで、市場を破壊してしまうのは、日本企業の悪い癖である。

ガバナンスについても、面白い話をしている。
日本的な社長・経理部長と米国流のCEO・CFOの組み合わせを比較する。
今の日本はCEOと経理部長というアンバランスな状態にあるという。
改革(CEOとCFO)なら

CEOは投資を控えて、M&Aやリストラを行い、CFOは余ったお金があれば、それで株式を買い戻す。

保守(社長と経理部長)なら

要求されるROEが高かろうが、社長は、日本的文脈で投資する。
経理部長は金策に銀行に通うということになる。
デフレに悩む今の日本に求められるのは、むしろ社長と経理部長ではないか。

この比較はとても印象的だし、的を射ていると思う。
しかし、現実主義の筆者には後者に一票を投じることができない。
確かに後者が大勢になれば、デフレの大きな要因である合成の誤謬は解消するかもしれない。
しかし、その可能性に賭けることは、異次元緩和が「期待」に賭けるのと似ているように思う。

株主資本主義を象徴する経営指標であるROEについては

ROEが重視されても、肝心の株価は上がらなかったし、日本経済はデフレから脱却できなかった。
改革派からすれば、それは「改革が不十分で、経営者も十分にROEを重視していないからだ」となるが、そうこうしているうちに、お手本の米国がおかしくなってきた。
リーマンショックが起こり、アメリカン・ビジネス・モデルへの批判が強まると、改革派の中から転向者が出るようになってきた。


と過度のROE重視を批判している。
これは、反論しようのないところだろう。
しかし、筆者はそれでも当期純利益と株主資本にこだわるべきだと考えている。
それは、なぜか。
それは、この2つが、財務諸表の最後に来るからだ。

当期利益(あるいは包括利益)はP/Lの最後、株主資本はB/Sの最後に来る。
当期利益は、仕入れ、人件費、諸コスト、金融コスト、税金を差し引いた最後に来る。
この費用項目は、おのおのステークホルダーに対応するものだ。
売上高から費用項目を差し引いて何も残らなければ、当期利益はない。
株主資本は総資産から総負債を差し引いたものだ。
総資産から総負債を差し引いて何も残らなければ、株主資本も無価値になる。
つまり、ROEの分子と分母はいずれも最も劣後する項目なのだ。
だからこそ、重視されるべきと考える。

企業経営において「ステークホルダー間のバランスをとりながら統治する」などという美句を並べる経営者は少なくない。
しかし、そういう人たちから、何が最適のバランスなのかを根拠つきで聞けることはまずない。
そんな難しい問いに答えられる経営者など、世界中見回してもそうはいないだろう。
むしろ、「ステークホルダー間のバランス」とは、経営者側の言い訳に使われているというのが筆者の印象だ。
この美句を盾に、エージェンシー問題を煙に巻こうという話にすぎないと考えている。

ステークホルダー間のバランスは重要だ。
しかし、それ以上にエージェンシー問題の方が重大だ。
だから、ステークホルダー間での濃淡をつけているのだと思う。
そこで、静的にも動的にも劣後するROEという指標が重要になる。

いろいろな意見がある中で、株式会社という法律上の存在が規定されているのは、そういう背景があるのだと考えている。
少なくとも、新会社法はそういう考えが色濃い法体系と理解している。
仮に、他のステークホルダーへの分配を増やしたいと考えるなら、その時は優先・劣後の順番もそれに応じて変えるべきだ。
それが、本当にそのステークホルダーにとって幸福かどうか、その時理解できるはずだ。

ステークホルダー間のバランスは重大だ。
ブラック企業は是正すべきだし、下請けいじめも懲らしめるべきだ。
しかし、それは法律や市場のメカニズムに負うしかない。
それが不十分とわかっていても、である。
筆者は、現在の日本の経営者の大多数について、全体のパイとバランスの切り分けのすべてを任せ切りにするほど信頼していない。

日本破綻論

北野氏は、いわゆる終末論についても手厳しい。
「高齢化→貯蓄の取り崩し→国債の外国人保有比率の上昇→金利上昇→破綻」という「日本破綻論」を「妙な議論」と切って捨てる。
その理由として、株式市場ではすでにそれが実現しているからという。

株式市場では、その保有構造の変化を通して、金融引き締めが進んでいたのである。

バブル崩壊後、PERの低下が観測され、意味するところは資本コスト(割引率)の上昇であった。
これを「金融引き締め」と表現しているのである。
難しいのは、この後で

議論の幅は、せいぜい、それがいつから始まるかに矮小化されてしまうのだ。
もう、債券市場の隣の株式市場ではとっくの昔から始まっているのに、おろかな議論をしているものである。

ここの解釈が難しい。
債券市場における資本コスト上昇が将来必ずあるという意味なのか?
債券市場がバブル崩壊後の株式市場のように低迷するなら、「それがいつから始まるか」が矮小なのか、愚かなのか。
株式を保有していて2割も落ちると、本当にへこむ。
しかし、それが債券だったとしたら、1週間は立ち上がれないだろう。
債券市場の急落は決して矮小な話ではあるまい。

この本において最も思想的であり、難解な部分だ。
この部分、著者の伝える努力が明らかに不十分だと思う。
あるいは、意図的なものなのかもしれない。

北野氏は、日本に「保守」が死に絶えたことを惜しんでいる。
誰もが「改革」を唱え、古き良き日本を復活させようとしない。
こういう現状を見つつ

日本は、復活する。
しかし、それは、アベノミクスで復活するのではない。
まだ我々の目には見えない「保守」が、すなわち、我々自身が主役になって、この国を盛り立てていくことになるだろう。

と唱える。
世の中を引っ張っていく人には、こういう楽観主義が必要だ。
こういう楽観視こそが、人々に希望を与え、道を示すことができる。

かくいう筆者は超がつく現実主義者。
目に見えないものは信じない性質だ。
筆者の目に見えているのは、量的緩和と財政政策。
この国が復活してほしいと切に願ってはいるが、とても断言はできない。

その他、ドキリとする言葉を紹介したい。

転換点(バブル崩壊)を予見するには

非論理的なはずのバブルを肯定するような新理論が提示されたり、バブルを新しい常識とみなすような行動が示された時が危ないと言える。

なぜ日本人の株式投資が少ないのかは

日本人が株式投資に消極的にならざるを得ないのは、不動産に多額の投資を行っているからなのである。
言い換えると、持ち家比率が高く、不動産の相対価格も高いからなのである。
・・・
株式投資を増やしたいなら、「貯蓄から投資へ」と旗を振るのではなく、「不動産から投資へ」と言わなければならない。

日本における短期主義の原因は

短期主義に、日本の経営者は陥りやすい構造になっている。
言うまでもなく、年功序列、終身雇用のもと、日本の経営者は、かなり高齢になってからトップに上り詰める。
したがって、在任期間も相対的に短くなりがちだ。

東京オリンピック招致について、「国民が自然に割引率を引き下げた」と評価しつつ

元が取れない設備を大量に作って、その建設費だけを経済効果として計算するのは、間違いではないがミスリーディングである。

人によって意見は違うだろうが、いろいろ考える機会を与えてくれる本だ。

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