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「アジアのプラザ合意」論:リチャード・クー氏
2019年11月27日

野村総研のリチャード・クー氏が、世界の貿易不均衡を解消するための「アジアのプラザ合意」論を説明している。


「そのアイディアを最初に提案したのは10年前です。
そのとき、当時人民銀行総裁だった周小川さんに興味を持っていただいて、北京で3時間ほど議論しました。
彼は、鄧小平が生きていたら、5分でこの提案に乗ると。」

クー氏が東洋経済掲載のインタビューで、「アジアのプラザ合意」論について回顧した。
このアイデアの背景には(一部の保護主義主張者を除き)世界的に良いものと言われている自由貿易についての考えがある。
一般論として良いものとされる自由貿易だが、良いものであるためには大きな前提が要求される。
それは貿易が均衡していることだ。

もちろんこの大前提は往々にして成立していない。
米国のような経常赤字国はいつまでも赤字のままで、ドイツ・日本・アジア諸国の一部ではいつまでも黒字のまま。
しかも、黒字国では外需拡大が目指されることさえある。
だから、貿易摩擦はなくならない。
大前提が崩れている以上、一般論としての自由貿易のメリットを主張するのにも限界がある。

こうした問題意識ははるか昔から存在していた。
1つがケインズによるバンコール構想だ。
ケインズは、貿易の不均衡が黒字国・赤字国両方の責任において解決されるべきとの考えに立っていた。

クー氏の主張は、こうした考えよりもさらに先進的なもののように聞こえる。
経常黒字国側からアクションを起こすような響きがあるからだ。
そして、それはかなり受けない政策になろう。

この間の貿易不均衡で大きな利益を得てきた東アジアの国々、つまり、われわれが何か手を打たなければなりません。
具体的には、プラザ合意のように、各国が協調しドル安を誘導する為替調整をすれば切り抜けられる――。

クー氏は「赤字国は怠け者で黒字国は勤勉」とする見方は誤りとし、貿易不均衡の原因を説明できるのは為替だと考えている。
そして、自由な為替・資本市場が貿易を均衡させるとは限らないとし、過去の例を挙げている。

ドル円
ドル円

「固定相場では360円だったドルは、1978年には180円を割っています。
ところが、金融と資本の自由化が始まった1980年頃から様相が変わります。
資本の自由化により、日本のお金がアメリカに流れていってしまったため、1ドル280円まで戻っています。」

1ドル280円となったのが1982年、円高を目指すプラザ合意が1985年だ。
為替は貿易収支をゼロにするよう動くとは限らない。
マネー・フローが短期的に、また中期的にも効いているように見える。
そこで、クー氏の提案になる。

貿易収支を均衡に近づけるためには、黒字国の通貨が強くなるような為替調整が必要で、これを自由に放置することはできないというのが、私の「アジアのプラザ合意」論(自由貿易体制を堅持するには、中国、日本、韓国、台湾の通貨が対ドルで20%高くなるよう、アジア主導で協調し為替調整すべきと主張)の基本的な発想です。

クー氏の提案は正論ではあるが、日本人には受けないタイプの提案だ。
(今の資本逃避に怯える中国なら歓迎するかもしれない。)
そして、仮にこれが実現すると、日本社会に大きな変化をもたらすだろう。
まず、金融政策の本音が変わる。
日銀の金融政策の建前は信用創造拡大であろうが、本音は円安維持だ。
円安維持の本音がなくなれば、日本の金融緩和は大幅に巻き戻すだろう。
人々がお金を借りない理由は、金利が高すぎるからではないのだから。

次に、財政政策のスペースが減る。
金融政策が少しでも巻き戻し、例えば国債利回りが1%ほど上昇すれば、ゆっくりと国の利払い負担が上昇する。
これが財政再建の背中を押すのだろう。
(日銀も金利上昇で逆ザヤとなり、ちょっと困るのだろう。)

逆に国債の持ち主である(日銀を除く)民間部門は金利収入が増えることになる。
高齢者も少しお小遣いが増えるのかもしれない。


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