ファーバー:法と正義の名の下に行われる暴政

マーク・ファーバー

スイス人著名投資家マーク・ファーバー氏が月例の書簡で、資本主義の擁護論を展開した。
ファーバー氏の日々の投資推奨には、こうした社会観も一役買っているのだろう。

ファーバー氏は、米国で起こった花屋にかかわる係争を紹介する。
花屋を営む老婆に、なじみの顧客が結婚式の花を依頼をしたが、彼女はその依頼を断る。
顧客はゲイであり、花屋は敬虔なプロテスタントだった。
日々の花とは異なり、結婚式の花となれば、信仰に反するというのだ。
これが係争になる。

ファーバー氏は、当事者間で穏便に済む話だったはずという。
しかし、話は思わぬ方向に向かう。
州の司法長官と自由人権協会が介入し、花屋への「魔女狩り」を始めたのだ。
ファーバー氏は「愚かな」と嘆き、シャルル・ド・モンテスキューの言葉を引用する。

「法の庇護・正義の名のもとに行われる暴政よりひどい暴政はない。」

花屋の訴訟は重要な社会問題だ。
しかし、それをどこまでそもまま敷衍すべきなのか。
自由な社会・経済を重んじるファーバー氏は、こんな話にも感情移入をしてしまう。

「資本主義・自由市場は公正ではない。
(実際、資本主義はさまざまな点で残酷な体制である。)
しかし、経済的・社会的生活を組織する他の形より、資本主義(えせ資本主義ではない)ははるかに公正な体制だ。
特に、社会主義・共産主義・独裁的計画経済よりははるかに公正なのだ。」

同意するか否かを別とすれば、ここまで言い切るとは潔いではないか。
市場の失敗を認めつつ、それでも他よりましと擁護しているのだ。

「西側諸国の民主主義は(社会主義や共産主義と同じように)公正な社会を生み出そうという貴い考えを持っている。
(アルベール・カミュは「国民の福祉というのは、いつも暴君のアリバイとして用いられてきた。」と言った。)
しかし、それが、官僚・強大な企業・政府の不正義や濫用によって特徴づけられる体制に終わろうとしている。」

ファーバー氏は何を念頭に置いているのか。
金融経済について言えば、たとえば、各国中央銀行の金融政策がそれであろう。
「法の庇護・正義の名のもとに行われ」ている金融政策は、本当に国民の幸福を最優先に実施されているのか。
そこに「官僚・強大な企業・政府の不正義や濫用」が混ざり込んではいないか。
少々被害妄想が入っているように見えることがあるファーバー氏だが、そうした意見も為政者の「アリバイ」作りを監視する上では必要だろう。

ファーバー氏は読者に警告する。

「遅かれ早かれ、あなたも花屋が遭遇したのと似た問題に直面することになる」