【書評】 日本財政を斬る

財務省

財務省で主計官、関税局長等を歴任した米澤潤一氏による戦後日本の国債発行の歩みと解説。
タカ派的な視点から描かれており、若干読みにくく感じるが、一方で本書のよさともなっている。

財政規律はカネのためだけではない

国債発行には実際のところ、金銭のやり取りという形式的な事実を超えて、さまざまな人のさまざまな思いがこもっているようだ。
米澤氏は第一章第一節で、大蔵省主計局の財政法立案者 平井平治氏が1947年に上梓した『財政法逐次解説』の一節を紹介している。

「(財政法)第四条は、健全財政を堅持して行くと同時に、財政を通じて戦争危険の防止を狙いとしている規定。
・・・
戦争と公債がいかに密接不離の関係にあるかは、各国の歴史をひもとくまでもなく、わが国の歴史を観ても公債なくして戦争の計画遂行の不可能であったことを考察すれば明らかである。」

このくだりは、共産党など政治家らからも好んで引かれるようになっている。
少々場違いな話のように感じるのだが、カネの話にはカネへの思いだけでなく、使い道等への思いが混ざり込んでくるのであろう。
それだけに、いったん悪化した財政を立て直すのは困難が増すとも想像できる。

日本の財政が悪化するワケ

米澤氏は、日本の財政悪化の主たる要因を3つ挙げる:

  • 円高恐怖症
  • 受益と負担のアンバランスと将来へのツケ回し
  • 市場がブレーキ(金利上昇)を踏まない

本来、財政政策は金融安定化政策であり、景気変動の中で平均化すれば±ゼロであるべきなのに、マイナスばかりが大きくなった。
趨勢的な変化に対し、財政支出で対応しようという緩みが続いているのは明らかだ。

一方で、財政積極派からは、需要が思うように回復しない中、政府が最後の借り手・使い手になるべきとの議論も聞かれる。
リチャード・クー氏のバランスシート不況論などがそれだ。
こうした考えを米澤氏は厳しく批判している。

「『民間資金需要がないならそれを公共部門で吸収するのは当然だ』という論理は正しくない。
貯蓄と投資がバランスをとるというのは、事後的に成り立つ恒等式に過ぎず、因果関係を示すものではない。」

誰の責任なのか

ニワトリが先か、タマゴが先か。
「因果関係を示すものではない」との指摘は正しいが、一方で公共支出を拡大しなければ(少なくとも一時的には)総需要が減少するのも事実であろう。
筆者も個人的には、財政政策なくしては存在しないような需要はまやかしであり、本来消えゆくものであると考えている。
しかし、同時に、まやかしなしには生きていけない無能な企業・無力な庶民も多く存在しているのであろう。
そうした認識の下、まやかしは消えてなくなればよいとはなかなか言い切れない。

米澤氏は、国債が拡大しなければ、「資本市場も金融機関も、もっと真剣に貸出先の育成・開拓に力を注ぎ」、経済成長に資することができたかもしれないという。
しかし、資本市場や金融機関は彼らの能力の範囲で「真剣」だったのだし、結局資金の流れる先には《無能な企業・無力な庶民》という制約が存在する。
日本が国債を拡大させたのは、無能な企業・庶民・資本市場・金融機関が有益な資金需要を生めなかったから、優秀な官に資金需要の掘り起こしを委ねたのだとの皮肉も成立しうる。
そして、官もまた例外ではなかったのだ。

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