経済学者の禅問答

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小峰隆夫 法政大学教授が「低成長容認論」を批判している。
その議論のやり方に、GDP擁護派の苦しい立場が見えてくる。

「成長至上主義」者を自認

事の始まりは朝日新聞の「経済成長は永遠なのか 『この200年、むしろ例外』」という記事だ。
この記事ではGDPが増えなくても社会は豊かになりうるとし、「低成長を受け入れる」時期が来ているかもしれないと示唆している。
小峰教授はこうした低成長容認論に反対し、こう書いている。

「経済成長を追求するということは、経済規模をとにかく大きくしようということではなく、われわれが直面している経済的諸問題をできるだけ解決し、国民の福祉のレベルを少しでも高めようとすることである。」

まさに正論であろう。
ところが、この正論には言いようのない不思議さがある。
小峰教授が反対を唱えた対象である朝日新聞記事やそこに登場した人たちは、さぞかし首を捻ったことだろう。
その疑問は、次の結文で最高潮に達する。

「こう考えてくると、依然としてわれわれは『成長至上主義』を掲げ続けるべきだと思う。」

禅問答の始まり

小峰教授の書いた正論を見る限り、小峰教授の考えは「成長至上主義」ではない。
それは、「経済規模をとにかく大きくしようということではなく」とか、「経済学者が求めているのは、広い意味の成長だ」とかいう部分に明確に表れている。
教授は「広い意味の成長」をこう定義している:

「資源がより効率的に使用され国民生活がより豊かになれば、経済は成長したことになる。
これが広い意味の成長だ。」

現実の社会では、こうした概念を普通《経済成長》とは言わない。
小峰教授は、いわば《修正成長主義者》とも言うべきであり、その論旨は「低成長容認論」と連続した領域にある。
成長至上主義に反対する人たちも、成長が絶対悪と言いたい人は皆無だろう。
問題は、小峰教授が書いたような他の論点とのバランスだ。

(次ページ: 禅問答の背景)